『北の宿から』や『大阪しぐれ』などの楽曲で有名な、演歌歌手の都はるみ(みやこはるみ)さん。
1976年に日本レコード大賞を受賞し、その後も数々のヒット曲を生み出してきた都はるみさん。
突如引退を表明したことで、当時は社会現象にもなりましたね。
最近はテレビなどにも出演しておらず姿を見なくなりましたが、俳優の矢崎滋さんとの東北ホテル暮らしが報道されたことで、注目が集まっています。
報道は2021年ですが、2023年となった今現在も継続しているのか?
引退した理由なども一緒に見ていきましょう。
都はるみが芸能界を引退したのはいつで理由は?
都はるみさんが芸能界を引退したのは、2016年になります。
2015年11月24日に開催された東京国際フォーラムでの全国ツアー最終日に翌年からのコンサート活動の休業をファンに報告。
テレビ出演は、2015年12月16日放送の音楽番組『日本の名曲 人生、歌がある“3時間スペシャル 都はるみトリビュート』が最後に。
翌年2016年2月18日にTBSラジオ『大沢悠里のゆうゆうワイド』にゲスト出演していますが、それ以降のメディア出演はありません。
2016年のラジオ出演を最後にメディアから姿を消した都はるみさんですが、実は引退は2回目のこと。
1964年に歌手デビューを果たした都はるみさんは、デビュー初年度の楽曲『アンコ椿は恋の花』がミリオンを達成し大ヒット。
その後は日本レコード大賞の受賞やFNS歌謡祭最優秀グランプリなどの実績をあげつつ、
1980年には大阪しぐれで日本レコード大賞の三冠を達成し、人気は絶頂を迎えていました。
そんな人気絶頂中の1984年3月5日。
都はるみさんは突如記者会見を開き、引退を表明することとなります。
こちらが当日に都はるみさんが話した内容です。
”いつもこういう会見ばかりで申し訳ありません。
「北の宿から」でレコード大賞(76年)をいただいた頃、母から「もうやめたら」と言われました。私もずっとその言葉を意識してきました。デビュー20周年の今年で、「けじめ」をつけ、(本名の)北村春美に戻ることにしました。
枯れた歌を歌っていくのはイヤです。
何の悔いもありません、本当にありがとうございました。
引用:https://koimousagi.com/26742.html
これからはフツーのオバさんをやります。”
『枯れた歌を歌っていくのはイヤ』という意味深な言葉を残し、フツーのオバさんをやりますと、芸能活動を引退することを語りました。
1984年の引退表明から5年が経った1989年にテレビ朝日系『サンデープロジェクト』に普通のおばさん代表のコメンテーターとして出演。
テレビ出演と同年には年末の紅白歌合戦にも出場しました。
テレビ出演と紅白歌合戦への出場を皮切りに、翌年の1990年に正式に歌手活動の再開を発表しています。
1990年の復帰後、2016年までの26年間は内縁の夫の逝去など苦難がありつつも、順調に歌手活動を続けてきた都はるみさん。
2016年に発表した2回目の引退については、理由を正式に述べることはしていません。
最後に出演したラジオで語ったのは、
この歌でもういいかなと思うこともある。
いい詞に出会えばいいけど、なかなか巡り会わない。
運命的な楽曲に出会えていないことと、復帰が否定的ともとれるコメントを残して公の場から姿を消すこととなりました。
公の場から姿で消した都はるみさんですが、とある俳優さんとの関係が報道され大きな話題に。
詳細を見てみましょう。
都はるみは矢崎滋と東北でホテル暮らしが発覚!
都はるみさんと元俳優の矢崎滋さんが東北のホテルで一緒に暮らしていることを、2021年3月11日に『FRIDAY』が報じました。
2人は東北の北の宿で生活を共にしており、車に乗って買い物や午後には決まって外食に出かける様子が写されています。
マスク姿の女性が都はるみさんで、隣でタバコを吸っているのが矢崎滋さんですね。
2人は籍を入れた夫婦ではないようですが、写真で見る限りは長年連れ添ってきた熟年夫婦に見えます。
矢崎滋さんといえば、有名なのは『白鶴まる』のCM。
全国各地を訪ねて漁師と一緒に両腕で大きく丸を作るCMは、ご存知の方も多いはずです。
毎回違った場所でその地方の美味しいものを食べた後、みんなで丸を作る様子が印象的でしたね。
そんな矢崎滋さんは2014年12月に放送された相棒に出演して以降、俳優業を引退しています。
引退後は携帯番号なども変え、芸能界とは一切の関係を断ち切っていた矢崎滋さん。
芸能関係者も矢崎滋さんの動向が分からない状態だったようですが、生活スタイルが判明したのは2020年のこと。
2020年9月に週刊女性が報じた内容では、白鶴からの功労金や芸能活動での貯金を使い、『一泊5,000円のホテルで暮らし続けている』ことが報じられてました。
”「現在、芸能関係者は誰も矢崎さんと連絡がとれない状態です。
’20年9月に『週刊女性』の取材に答えて、役者は引退して一泊5000円でホテル暮らしをしていることを明かしました。
CMを降りたときに『白鶴』からもらった功労金などの貯金を切り崩して生活していると。”
引用:https://friday.kodansha.co.jp/article/168454
そんな矢崎滋さんが生活しているホテルに、現在同居しているのが都はるみさんということになりますね。
矢崎滋さんは30代で離婚し、それ以降の再婚は情報がありませんので独り身を貫いてきた可能性が高い。
一方の都はるみさんも、内縁の夫が逝去されてからは恋人が出来ているという情報はありません。
同年代同士で且つ、同じ芸能界を生きてきた環境から意気投合したのかもしれません。
2020年9月に週刊女性が矢崎滋さんに取材している時には、都はるみさんがいなかったことを考えると、
2020年10月以降に同居したということが分かりますね。
FRIDAYで2人のホテル暮らしが報道されたのは2021年ですが、2023年1月となった現在も続いているのか?
見ていきましょう。
【2023年】都はるみの今現在は?矢崎滋と東北でホテル暮らし継続中?
2023年も都はるみさんと矢崎滋さんが東北で一緒に暮らしているのかを調べてみましたが、
最近撮られた写真などはなく、継続しているという確証が得れる情報はありませんでした。
しかし、以下の理由から2023年1月となった現在もホテル暮らしを継続中の可能性が高いと考えられます。
理由はこちら。
①2021年3月の報道から期間が短い
②2人とも高齢となっている
③矢崎滋さんが引っ越す可能性が低い
FRIDAYで報道されたのが2021年3月であることを考えると、2023年1月で約2年。
FRIDAYの写真で一緒に買い物に行くところや、仲良く談笑している様子を見ると、よっぽどのことが無い限り別れるという選択肢はないように感じます。
緑内障により片目がほとんど見えていないという矢崎滋さんに代わり、移動に使う車の運転は都はるみさんが行っています。
2023年1月現在で都はるみさんは74歳で、矢崎滋さんは75歳となりました。
長年俳業で活躍し、白鶴まるの功労金や再放送に伴うCM出演料などで矢崎滋さんが金銭面で支えていると考えると、
高齢となったお互いを金銭面、肉体面で支えあっていることが分かります。
支えあっているところを見ると、本当に熟年夫婦にしか見えませんね。
矢崎滋さんが東北のホテルを生活先に選んだ理由は、
①部屋の備品交換や掃除はホテルがしてくれる
②近くに場外馬券売り場があるから
高齢となった矢崎滋さんには、テレビや冷蔵庫などの家電入れ替えや、部屋の掃除が大変になっているそうです。
将来的なことも考えるとホテル暮らしが、生活スタイルや金銭的に自分の生活にあっていると考えているようですね。
また、趣味の競馬を楽しめているのも大きいでしょう。
お互いを支えあって生活している、都はるみさんと矢崎滋さん。
矢崎滋さんの生活スタイルにあっているホテルから移動する可能性の低さも考えれば、
2023年1月現在も東北ホテルでの生活を継続している可能性は高いでしょう。
まとめ
今回は都はるみさんの引退と、矢崎滋さんとの東北ホテル生活について調査してきました。
テレビでの2人を見れなくなったのは寂しいですが、2人で落ち着いた生活をされているようで安心しました。
芸能界で激動の日々を過ごしてきた2人には、今のゆったりした生活が合っているのかもしれませんね。
過去に病気で話題になったこともある2人なので、健康には気を付けていただき、末永く幸せに過ごしていただきたいところです。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。