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【画像】舟木一夫の嫁は一般人で運命の人だった?馴れ初めがすごい!

舟木一夫 嫁は一般人で 運命の人! 馴れ初めもすごい
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舟木一夫(ふなきかずお)さんは1960年代を中心に演歌や歌謡曲で大ヒットした歌手です。

青春ソングの定番『高校三年生』や、時代劇『銭形平次』のテーマソングが有名です。

舟木一夫さんは一般人女性と結婚しており、その方はどん底人生を支えてくれた方という情報も。

今回は歌手の舟木一夫さんについて、結婚した嫁と馴れ初めを調査していきます。

【画像】舟木一夫の結婚した嫁は一般人でどんな人?

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舟木一夫さんが結婚したのは、1974年4月29日。紀子さん(旧姓は松沢)という一般人女性と結婚しています。

元々舟木一夫さんのファンだったという紀子さんは、宮城学院女子大学の音楽科を卒業したお嬢様です。

はっきりと写った顔写真などはありませんでしたが、挙式を上げた時の新聞記事を見つけました。

こちらにお顔が少し掲載されていました。

舟木一夫さんも若くてカッコいいですが、紀子さんも白無垢が似合う美人です。

結婚当時、紀子さんは21歳の大学生ということで、年齢より落ち着いた雰囲気に見えますね。

紀子さんの実家は仙台市にあり、会社員の父親と母親、姉が1人います。ほかの兄弟については情報が無かったので、4人家族の可能性が高いですね。

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紀子さんの性格は、母と姉にお世話をしてもらい育ったお嬢様という情報がありましたが、舟木一夫さんと結婚したいことを家族にしっかり話せるところなど、芯のある強い女性です。

特に、どん底人生を支えた器量などは今の舟木一夫さんがあるのも嫁のおかげと言われるほど。

2人はどんな人生を歩んできたのか見ていきましょう。

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舟木一夫の嫁は夫のどん底人生を支えていた!

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舟木一夫さんはデビュー当時から大ブレイク。

橋幸夫さんと西郷輝彦さんとともに『御三家』と呼ばれ人気を博していました。

1964年3月には舟木一夫さん初のワンマンショーが東京・浅草国際劇場で開催され、当日は国鉄がワンマンショー観覧客のための特別列車を運行させています。

さらには、東京駅から浅草国際劇場までパトカー先導の元、観光バス19台で移動。

一般のアーティストではあり得ない待遇ですよね。

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また、1966年には『絶唱』で第8回日本レコード大賞歌唱賞を受賞。時代劇のオープニングテーマ、銭形平次がリリースされたのも1966年です。

1963年のデビューから、一気にスター歌手へと登り詰めた舟木一夫さんですが、雰囲気が変わり始めたのは1970年。

1970年に入ると、舟木一夫さんがかねてより多数出演していた歌謡映画は廃れ、TVドラマへの需要がなくなりました。

歌謡界にも変化が訪れ、舟木一夫さんも表立った仕事は激減。舞台と地方公演が主な活動の場となっていきます。

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表だった煌びやかな仕事減りましたが、それでも多忙な日々が続いていた舟木一夫さんは、過労がたたり1972年3月に入院。

その翌月に仕事の打合せ後に失踪するという大騒ぎに。

『仕事がいやになった、休みたい』

かなり疲労が溜まって、心身共に疲れていたんですね。

舟木一夫さんは失踪先の旅館で、自殺未遂を図ります。 昏睡状態で発見されましたが、一命はとりとめました。

1973年7月には紀子さんとの婚約も発表されますが、3カ月後の10月に京都ロイヤルホテルの客室でまたもや自殺を図ります。

そんな仕事もどん底、心身共に疲れ、自殺未遂を図っていた舟木一夫さんを支え続けたのが、紀子さんになります。

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紀子さんとの結婚後は自殺未遂はありませんでしたが、仕事はほとんどない状態となっていた舟木一夫さん。

年収が300万円以下にまで下がった時もあったようです。当時住んでいた賃貸は毎月25万円ほどだったようなので、紀子さんも仕事をして支えていたのでしょう。

紀子さんのつながりから、仙台での仕事も獲得できるようになった舟木一夫さん。

その後も不遇時代は続きますが、デビュー30周年を迎えた1993年から人気が再燃。

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末永い人気は2022年となった今でも続いており、テレビやコンサートで活躍されています。

結婚したのは1974年で、2022年現在で48年の長い結婚生活を営んできた舟木一夫さんと紀子さん。不遇時代を共に歩んできた2人だからこそ、離婚騒動などもなく、夫婦円満か続いているんですね。

2人の馴れ初めはどうだったのでしょうか?

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舟木一夫と嫁の馴れ初めがすごい!運命の人だった?

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舟木一夫さんが当時の松沢紀子さんと出会ったのは、1967年の1月か2月頃。

宮城県仙台市で公演を行った後の後援会員との茶話会で、当時中学校3年生だった紀子さんを見かけたのが出会いの始まりです。


“舟木はこの忙しい中の1月か2月に宮城県仙台市で公演を行っている。公演後、舟木は劇場の食堂で仙台地区の後援会員と茶話会を開いた。その中に後援会員に連れられてきた中学3年の女生徒がいた。チャーリーのはす向かいでうつ向き加減にしていた。”

引用:https://ameblo.jp/akira0591/entry-12753248228.html

チャーリー脇野さんのはす向かいで、うつ向き加減にしていた女性が紀子さん。

紀子さんとは全く面識のない舟木一夫さんでしたが、何かにビビッときたのでしょう。

舟木一夫さんはチャーリー脇野さんにささやきました。

『はす向かいに座っているあの子、僕はあの子と結婚するかもしれない』

チャーリー脇野さんは『何を言ってるんだ?』と不思議に思ったそうです。翌年1968年『坊ちゃん』の公演後に後援会員に連れられ、紀子さんが楽屋に挨拶に来たのが2回目の出会い。

その時も舟木一夫さんは紀子さんを覚えていて、

『仙台公演の時に結婚するかもと言った子だ』

とチャーリー脇野さんに話したそうです。

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舟木一夫さんはまだ紀子さんの名前も年齢も知らなかったようなので、それでも覚えていられるくらい、紀子さんに強く感じるものがあったんですね。

本格的に2人の関係が始まったのは、その3年後の盛岡公演後。

紀子さんは宮城学院女子大学の学生になっており、そのことを知った舟木一夫さんが、後援会を通して連絡をとります。

舟木一夫さんは公演後の休みを利用し、紀子さんの自宅を訪問。

初対面だった両親に、

『結婚を前提にお付き合いさせてください』

と交際を申込みました。

舟木一夫さんの漢気を感じるエピソードですね。

2人の交際は1971年から、結婚を前提として始まったということになります。ご両親への挨拶もそうですが、デートは母親同伴だったという話もあるので、

舟木一夫さんの律儀な性格からくる、誠実な交際だったことが分かりますね。

そして、紀子さんはまさに運命の人だったのですね。

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さまざまな騒動もありつつ、舟木一夫さんと紀子さんは1974年に見事ゴールイン。

忙しい時代の舟木一夫さんを知り、仕事が減った辛い時期も知っている紀子さん。

現在も最前線で活躍する舟木一夫さんですが、裏で支え続ける紀子さんの存在があってこそですね。

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まとめ

今回は歌手の舟木一夫さんについて調査してきました。

年配の方だけではなく、若い世代でも有名な歌手なだけに、自殺未遂があったということに驚きました。

昔はプライバシー保護の規制が緩かったようなので、当時の芸能人はかなりストレスが溜まったのではないでしょうか。

最近は、SNSの投稿も炎上しないように注意が必要ですし、今も昔もストレスが溜まることには変わらないのかもしれません。

舟木一夫さんもご年齢的には高くなりましたが、素晴らしい歌声は健在。これからも健康で末永く、元気に活動していただけることを祈っています。

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