2022年夏の甲子園が開幕し熱い試合を見せているのは、大阪桐蔭高等学校。
大阪桐蔭で注目されているのは3年生右腕の川原嗣貴さん。
高身長からの鋭いストレートは最速148キロ。
緩急をつけた変化球も武器に、甲子園の強力打線を抑えています。
そんな大注目の川原嗣貴さんの父親は元高校球児です。
今回は、川原嗣貴さんが野球を始めたきっかけや父の影響について調べていきたいと思います。
では、さっそく行ってみましょう!
川原嗣貴(大阪桐蔭)の父親も元高校球児だった!
![青い誓い・センバツ選手紹介>/8 大阪桐蔭 川原嗣貴投手/金光大阪 キャリーパトリック波也斗投手 /大阪(センバツLIVE!) - Yahoo!ニュース](https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/amd-img/20220228-00000006-senbatsul-000-3-view.jpg?pri=l&w=463&h=640&exp=10800)
川原嗣貴さんの父親の名前は、川原宏一さんです。
父親の川原宏一さんも、野球をやっていました。
川原宏一さんは、奈良県立広陵高校の野球部に所属。
現在は校名が変わり、大和広陵高校になっていますね。
![](https://ryo-ishikawa.fun/wp-content/uploads/2022/08/image-3.jpeg)
広陵高校は、1985年に春のセンバツ高校野球大会に出場しています。
川原嗣貴さんの父親は、甲子園の出場メンバーということですね。
川原嗣貴さんは大阪桐蔭のエースとして2年生から甲子園に出ているので、その才能は父親ゆずりなんですね。
![高校野球のれん 伊野商優勝☆第57回選抜高校野球☆ - メルカリ](https://static.mercdn.net/item/detail/orig/photos/m94116232420_1.jpg?1638526594)
川原宏一さん率いる広陵高校は甲子園1回戦で、福岡県代表の東海大五高校と対戦。
広陵高校が4点リードしていた状態でしたが、惜しくも逆転負けを喫しています。
“実は川原の父・宏一さん(58)も85年センバツに広陵(奈良=現大和広陵)のエース兼4番で出場。1回戦で東海大五(福岡)に、この日と同じ4―0から逆転負けを喫している。”
引用:https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2021/08/23/kiji/20210823s00001002329000c.html
川原嗣貴さんは、2021年夏の甲子園に2年生で出場。
大阪桐蔭と近江高校の対戦時に、同点で迎えた8回で登板しています。
川原嗣貴さんは制球が落ち着かず、四球に加え近江打線につかまり失点。
その失点を取り返せず、優勝候補と言われていた大阪桐蔭は涙の2回戦敗退となりました。
![甲子園】大阪桐蔭に勝負の厳しさ、2番手2年生川原悪夢「四球で崩れて」 - 高校野球夏の甲子園 : 日刊スポーツ](https://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/img/202108230000897-w1300_0.jpg)
親子揃ってピッチャーであり、甲子園出場も果たし辛い負け方も味わっている。
食事の席では、野球の話が盛り上がりそうですね。
川原嗣貴さんの父親、川原宏一さんはどんな選手だったのか?
見ていきましょう!
川原嗣貴(大阪桐蔭)の父親はどんな選手だった?
![王者・大阪桐蔭に新星現る…“188センチの大型右腕”川原嗣貴が快投 4年ぶりの優勝へ好発進 | デイリー新潮](https://www.dailyshincho.com/wp-content/uploads/3000/07/2203241651_1-714x476.jpg)
川原宏一さんは、広陵高校野球部所属。
エースであり4番バッターでした。
投げるし打てるしと、攻守に優れた選手だったんですね。
現在もメジャーリーグで活躍する、大谷翔平さんや前田健太さん。
![7年前、メジャースカウトが受けた「高校1年・大谷翔平」の衝撃|プロ野球|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva](https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/npb/2017/images/ohtanishohei20170109.jpg)
![カープ選手の高校時代の懐かしい映像が放送される/今村・大瀬良・栗原・福井・丸・前田健太・小窪・木村昇吾 - 安芸の者がゆく](https://blog-imgs-77.fc2.com/a/k/i/akinomono2010/5430_02.jpg)
2人は高校野球時代に4番兼エースとして活躍していました。
それを考えると、川原宏一さんは当時の広陵高校メンバーの中でも、ひときわ輝く存在であったことは確かですね。
野球選手としての能力は素晴らしかった川原宏一さんですが、広陵高校卒業後はプロ野球に進んでいません。
広陵高校卒業後は、会社員として働いているようです。
”その後プロ入りは無く、社会人として働かれています。”
引用:https://votecloud.jp/shiki-kawahara-name/
一般人として働いているということで、画像や体格など公表されておらず、情報はありませんでした。
川原嗣貴さんは188センチ、85キロという恵まれた体格。
それを考慮すると、川原宏一さんもかなり体格の良い方というのが想像できます。
川原嗣貴さんは高身長から繰り出す鋭いストレートが魅力の選手。
広陵高校時代の川原宏一さんも、高身長から繰り出されるストレートが魅力だったかもしれませんね。
川原嗣貴さんの父親、川原宏一さんが元高校球児ということが分かりました。
となれば、川原嗣貴さんが野球を始めたのは父親の影響でしょうか?
きっかけについて、見ていきましょう?
川原嗣貴(大阪桐蔭)が野球を始めたのはやはり父親の影響?
![大阪桐蔭先発・川原嗣貴 |智弁和歌山、大阪桐蔭が4強 春… 写真2/2|SANSPO.COM(サンスポ)](https://www.sanspo.com/baseball/images/20210522/hig21052216100002-p2.jpg)
川原嗣貴さんが野球を始めたきっかけについては、情報がありませんでした。
川原嗣貴さんはまだ現役高校生。
2022年8月現在は、夏の甲子園まっただ中ということもあり、インタビューなどできっかけを語る機会はなさそうですね。
![春夏制覇に向けエースナンバー背負う大阪桐蔭・川原嗣貴が先発、外野手、抑えの三役こなす【高校野球】:中日スポーツ・東京中日スポーツ](https://static.chunichi.co.jp/image/article/size1/e/c/0/9/ec0982300667a7153debe8a70c6bf4a4_1.jpg)
川原嗣貴さんはプロ野球のドラフトでも注目されている選手です。
甲子園が終わった後には、進路について情報が出てくるはず。
その時には、過去を振り返ったインタビューなどもありそうですね。
![1失点完投した大阪桐蔭の背番号「10」川原嗣貴、当日に先発を告げられていた「勝利につながる投球ができた」/センバツ - イザ!](https://www.sankei.com/resizer/p7LgPCQys3WsyN49hd6iPZnUlwQ=/730x0/filters:focal(470x322:480x332):quality(50)/cloudfront-ap-northeast-1.images.arcpublishing.com/sankei/FKJHELR4CNGR7APE56C4KOYD6U.jpg)
大阪桐蔭卒業後は、プロ野球という道もありますが大学への進学という可能性も十分に考えられます。
甲子園での活躍も気になりますが、川原嗣貴さんの進路にも注目が集まりそうですね。
川原嗣貴さんは幼稚園の時から軟式野球を始めています。
野球をやる方の多くは小学校高学年くらいから、リトルリーグに所属することが多い。
川原嗣貴さんの父親、川原宏一さんが元高校球児ということと、
川原嗣貴さんが一般人に比べて野球にたずさわるのが早いことを考えると、
川原嗣貴さんが野球を始めたきっかけは、父親の川原宏一さんの影響があったと考えられますね。
まとめ
今回は、大阪桐蔭の川原嗣貴さんの父親について調査してきました。
川原嗣貴(大阪桐蔭)の父親も元高校球児だった!
・川原宏一さんも元高校球児
・川原宏一さんは広陵高校の野球部だった
・広陵高校で春のセンバツで甲子園へ
川原嗣貴(大阪桐蔭)の父親はどんな選手だった?
・広陵高校の4番兼エース
・プロ野球には行っておらず、情報はない
・体格は川原嗣貴さんに似ていると予想
川原嗣貴(大阪桐蔭)が野球を始めたのはやはり父親の影響?
・野球を始めたきっかけは、情報がない
・川原嗣貴さんは幼稚園から野球を始めている
・野球を始めた時期が早い
・父親が元高校球児
・2つを考えると、父親の影響を受けた可能性が高い
川原嗣貴さんの父親については、いかがでしたか?
親子揃って甲子園に出場していることは驚きました!
しかも、ピッチャーとして活躍していて大舞台で逆転負けも味わっている。
親子の運命は似ているのかもしれませんね。
悔しい時を乗り越えた川原嗣貴さんは、別人と言われるほどの成長を見せ、2022年夏の甲子園で活躍しています!
これからの行く末が楽しみな選手です。
川原嗣貴さんのますますの活躍を期待しています。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。