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天皇陛下の一目惚れ?雅子様との馴れ初めやプロポーズエピソードも紹介!

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2022年2月23日天皇陛下のお誕生日を持って、天皇陛下は62歳となられました。

いつも温かく国民に御心を注がれ、毎日国民のために祈られている天皇陛下は素晴らしいとしか言いようがありません。

今回は、皇族としての品格の高さ、落ち着きがあって不動の御心をもたれていらっしゃる天皇陛下にスポットを当ててお届けしましょう。

天皇陛下の一目惚れ?雅子様との馴れ初めやプロポーズエピソードも紹介してまいります。

天皇陛下は雅子様に一目惚れされた?

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天皇陛下は1960年2月23日にお生まれになられました。

日本の第126代天皇として2019年(令和元年)5月1日から在位されています。

御称号は浩宮さま、諱(いみな:本名)は今上陛下徳仁(なるひと)さまです。

天皇陛下はこれまでの傳育官制度が廃止され養育係を置くことなく、上皇さま上皇后さまから愛情深く育てられました。

お二人での海外公務の際には子育てメモを世話係へ渡され「ナルちゃん憲法」とも呼ばれ,

一般家庭の母親たちの育児方針として共感を呼んだほどです。

1982年、学習院大学文学部史学科を卒業され、翌年からは英国オックスフォード大学マートン・カレッジに留学されています。

1987年10月初旬、昭和天皇の病気療養と上皇さまの海外訪問とが重なって、

天皇陛下は初めて国事行為臨時代行に就かれました。

この頃から段々と徳仁親王の親王妃候補についてメディアで取り上げられることが多くなっていきます。

お妃候補は誰と様々な憶測が飛んでいたことは記憶に残っている方も多いのではないでしょうか。

その中に雅子様がいらっしゃった訳です。

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外務省の研修留学先のイギリスにまでマスコミが駆け寄って、

容赦なくマイクを向けたり話しかけたりして、下を向いて黙って歩かれる雅子様の姿を忘れることは出来ません。

天皇陛下が雅子様に一目惚れされたのではなく、天皇陛下が雅子様に一目惚れしたのです。

続いて詳しくご紹介してまいります。

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天皇陛下と雅子様との出会いは?

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文春オンラインでの天皇陛下と雅子様との出会いを紹介している記事からまとめます。

1986年10月18日、天皇陛下が来日中のスペインカルロス国王長女であるエレナ王女の歓迎パーティーに親臨した際に、当時外務省に勤めていた雅子様と出会ったのが最初でした。

雅子様の父親小和田恆(おわだひさし)さんの先輩にあたる中川融(なかがわとおる)さんが、お妃候補として雅子さまを正式に推薦していたのです。

この日の3か月前だったとのことで、お膳立てが成されていたと言えるでしょう。

聡明さと美貌とを兼ね備えた類まれな女性である雅子様をお妃候補として推薦したくなる中川さんの気持ちが物凄く分かります。

小和田父子には全く知らない世界の話でした。中川さんによると、娘が社会に羽ばたこうとする成長ぶりを父親として嬉しく見守っていただけで、

まさかお妃候補とは想像もしていなかっただろうと話されています。

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ここでは天皇陛下と雅子様とお二人の会話も紹介されていました。

外交官試験に合格された雅子様に、

天皇陛下は「合格して良かったですね」「どんな外交官になりたいですか」と聞かれたそうです。

雅子様の緊張をほぐすかのように、これから頑張ってと優しくお声をかけられたとも書かれています。

また、この時の出会いのことを1993年1月19日のご婚約会見で次のように語られていたそうです。

「非常に控えめで、だけど自分をしっかり持っていて聡明であること。話題にも共通性があり心が通じ合える印象を強く持ちました。なので話していて楽しい方。」

やはり最初に出会った瞬間に運命的なものを感じられていたのではないでしょうか。



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天皇陛下の雅子様の馴れ初めは?

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1986年の出会いを機に翌年の日英協会パーティーにて再会され、その後も何度か会話を楽しまれた天皇陛下と雅子様でした。

そして1987年の雅子様のお誕生日12月9日、小和田家に天皇陛下からの花束が届けられたと言います。

時は過ぎ、1991年11月雅子様が政府要人の通訳を務めていたことがニュースとなりました。

ご覧になった天皇陛下は立派な外交官になられた雅子様の姿に、

自分の伴侶とする人は雅子様しかいないと改めて思われたのではないでしょうか。

1992年8月、宮内庁から天皇陛下から雅子様への猛アタックの末に5年ぶりの再会が実現しました。

この間、他のお妃候補の方とのお見合いややり取りもあったようですが、

天皇陛下の雅子様への思いは強く破談となったそうです。



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天皇陛下の雅子様へのプロポーズのお言葉とは

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さて、この後小和田家に天皇陛下から直接の電話やFAXが届いたと言います。

FAXはどれだけの長さになったのでしょうか。

ですが、プロポーズは意外にも早く1993年の10月3日だったそうです。

鴨場のデートと話題になりました。

天皇陛下は真っすぐに、

「私と結婚していただけますか」

と仰られたと言います。

もちろんその場での雅子様のお返事はなく、ここから雅子様はお仕事を10日ほど休まれていたのです。

皇室に入ること、将来天皇陛下を支え皇后となられること、外交官の職を辞すること、

躊躇されるのは無理のないことで、雅子様も真剣であるからこそ悩まれたに違いありません。そして、天皇陛下の有名なお言葉へと続きます。

「皇室に入られることには、いろいろと不安や心配がおありでしょうけれども、雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから」

と、雅子様への熱い思いと共に深い愛で包みこむようなお優しいお言葉に心動かされたのではないでしょうか。

天皇陛下と直にお話したことはありませんが、お話をされる天皇陛下のお姿を拝すると誠実で懐の深い温かい方であることは分かります。

雅子様もひた向きな天皇陛下の思いに応えられ、プロポーズを受け入れられたのでしょう。



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天皇陛下と雅子様のホットエピソードもご紹介!

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天皇陛下は趣味で山登りをされることでも有名です。

この山登りを雅子様とご一緒に楽しまれているご様子がメディアでも取り上げられていました。

お二人の仲睦まじい様子を見るだけでも幸せな気持ちになります

こんなエピソードがありました。

新婚時代のお二人は山でお弁当を食べる時に、肩を寄せ合って並んで座られていたとのことで、後姿だけでも仲の良さが伝わってきたそうです。

2003年愛子様が2歳頃から、雅子様は帯状疱疹に、お忙しさゆえの疲れ、精神的な疲弊という事で、長いお休みに入られました。内外から心ない言葉を浴びせられる中、更に悪化したとも言われています。

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引用元:FNN PRIME

こうした中で天皇陛下は穏やかに雅子様に関しての記者からの質問にも答えられていましたが、会見の場ではっきりと

「雅子の人格を否定するような動きがあった」

とお言葉を発せられたのです。

心の病であることに皇族がそのような心の病になることはないとする風潮が宮内庁の中にあるという事でしょう。

雅子様の病名もはっきりと発表され、

「雅子さんのことは僕が一生全力で守る」

と言われたお言葉通りに雅子様を守り抜かれました。

どんな時もどこまでも天皇陛下は雅子様を愛していらっしゃることが分かるエピソードです。

tenno-heika引用元:週間PRIME

こんなエピソードも見つけました。

東宮御所での活動報告の際に、両陛下を前にして緊張した教育振興プログラムで生活総括リーダーを務めた佐藤さんは、

極度の緊張に出されたケーキに手を付ける事すら出来ませんでした。

そんな中、天皇陛下が私からと率先してケーキを召し上がろうとした時にうっかりとケーキの欠片を落とされたそうです。

そのご様子を見られた雅子様が「あら」と言ってクスリと笑顔を見せられたお茶目なお姿によって一気にその場が和んだと言います。

何気ないお二人の絶妙なコンビネーションが日々どこかの場面で散りばめられているような気がしてなりません。



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まとめ

雅子様は天皇陛下の大きな傘の中に守られていらっしゃって、

天皇陛下もまた雅子様の深い愛に包まれていらっしゃる、お互いに支え合っておられる姿を拝することに幸せを感じることが出来ます。

皇族の方々の微笑ましいご様子は、国民にとって何よりの心の拠り所です。

天皇陛下、雅子様、そして愛子様にはいつも笑顔でいて頂きたいと願う方は多いことでしょう。

これから世界情勢も刻々と変化する中で、令和と言う新しい時代の両陛下のお姿を、これからも注目してまいりたい思いです。

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