一時期ドラマやテレビ番組に出続けていて、安田顕さんの出演番組は面白いに違いないといつの間にかチャンネルを合わせてしまっていたことがありました。
安田顕さんのおしゃべりにすべりはないですし、そして何より安心安定の演技力で楽しませてくれる存在です。
では、そんな安田顕さんは幼少期にどんな少年だったのでしょうか。
そこで今回は、安田顕さんの学歴や経歴は?俳優になったきっかけについても徹底追及していきます。
Contents
安田顕のプロフィール紹介
では、先ず安田顕さんのプロフィールを紹介しましょう。
引用元:https://msp.c.yimg.jp
- 本 名:安田顕
- 生年月日:1973年12月8日(2022年3月現在48歳)
- 身 長:173㎝
- 血液型:A型
- 活動期間:1993年~
- 配偶者:既婚(2002年~)
- 所属劇団:TEAM NACS
- 所属事務所:CREATIVE OFFICE CUE(1993年~)
- 提携業務先:アミューズ
安田顕の学歴は?
安田顕さんは小学校からずっと北海道在住でした。
まずは、安田顕さんの出身小学校から詳しく見ていきます。
室蘭市立絵鞆(えとも)小学校
引用元:https://upload.wikimedia.org/
北海道室蘭市祝津町にあって1892年(明治25年)に設立された歴史ある公立小学校でしたが、2015年3月31日で閉校となっています。
画像でもお分かりのように、学校では珍しい円形校舎が2棟並ぶおしゃれな学校でした。
安田顕さんは絵鞆小学校の体育館解体の報道を知った時はSNSで
“あゝ…そうか…、お疲れ様でした。有難うございました。
もう一度、ちゃんとお別れしたいです。うーん、そうか”
と呟いていました。
引用元:https://msp.c.yimg.jp/
また、安田顕さんの著書「北海道室蘭市本町一丁目四十六番地」の中で、絵鞆小学校に触れている部分もあるようですし、
NHKの番組(2018年)で閉校となった母校を訪れてもいます。やはり学校が無くなると言うのは寂しいものです。
自分の小学校は無くなってはいないのですが、馴染みのある木造の校舎が現代風に建て替わったのを見た時は残念な気持ちになりました。
安田顕さんも母校への思い入れが強いのでしょう。肩を落とすのも無理はありません。
(参考記事:エキサイトニュース (excite.co.jp)
室蘭市立港南中学校
引用元:http://www.muroran.iburi.ed.jp/
安田顕さんが通っていた室蘭市立港南中学校は、現在では旧北辰中学校との統合により新校舎が建設され、
室蘭市立室蘭西中学校と名称が変更されています。
引用元:https://msp.c.yimg.jp/
婦人公論でのインタビューで、中学時代のエピソードを話していたのでまとめました。
中学2年生の時に好きな子が出来て、その子が廊下を走る柔道部員を振り返って見ていたそうです。
柔道が好きと勘違いした安田顕少年は、速攻柔道部に入部したのですが好きな子は剣道部に入ったと、この頃から行動の瞬発力は高かったことが分かります。
北海道室蘭栄高等学校普通科
1917年に設立された公立学校です。安田顕さんは途中で止めることが嫌いだったようで、中学、高校まで柔道部でした。
不器用だから黒帯を取るのに高校2年生までかかったと言いますが、黒帯を取れたのですから大したものです。
北海学園大学経営学部
引用元:https://msp.c.yimg.jp/
安田顕さんの大学進学の際には、アクシデントが発生しています。
釧路教育大学(現在の北海道教育大学釧路校)を受験するはずだったのですが、
入試当日に胃痙攣を起こし、試験を受けられなくなったそうです。
北海学園大学ではジャズ研究会、グリークラブと渡り歩いて、最終的に辿り着いたのが演劇研究会でした。
同じ演劇研究会で出会ったのが、2学年先輩に当たるTEAM NACSのリーダー森崎博之さん、そして戸次重幸さん、大泉洋さん、音尾琢真さんと、
素晴らしい巡り合わせと言えるのではないでしょうか。
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安田顕の経歴は?
引用元:https://msp.c.yimg.jp/
安田顕さんは大学卒業後、総合病院の医療事務に勤務していたようです。
演劇では食べていけるのかと思う俳優のたまごさんは多いことでしょうが、安田顕さんもそう思って堅実な仕事に就きました。
ですが、内気が直らず近くの公園で一人でお弁当を食べたりして、この仕事は自分に向いていないという思い10ヶ月で退職しています。
卒業して2年後に、安田顕さんは北海道テレビ「水曜どうでしょう」の準レギュラーとして出演し始めました。
大泉洋さんがレギュラーで出演し、北海道で知らない人がいないくらい大人気となり大泉洋さんも全国的に有名となったお化け番組です。
引用元:https://msp.c.yimg.jp/
安田顕さんは自分のこれまでを振り返り、
20代の頃は、舞台はやっていたけどドラマの仕事はなかった。でも、もうちょっと頑張ってみよう。
30代は役には恵まれたけど、実力が追いついていかなかった。でも、もうちょっと頑張ってみよう。40代は仕事がたくさん来るようになったけど、もっとやれるんじゃないか――。そう思うたびに、休む暇なくいろんな仕事を経験したい、もうちょっと頑張ろう、って。
ずっとそんな感じでやってきたような気がします。
引用元:婦人公論.jp (fujinkoron.jp)
このように語っていました。
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安田顕が俳優になったきっかけについても
引用元:週刊PRIME
シネマカフェサイトに安田顕さんのインタビュー記事(2016年)が掲載されていたので、そこからまとめました。
つかみどころがない、カメレオン俳優と称される安田顕さんへの言葉はぴったりで、怪優とも呼ばれています。
誰もが絶賛する名バイプレイヤーである安田顕さんですが、
俳優が天職となる始まりは、暗い性格を変えたいということがきっかけでした。
大学での模擬店で、隣で騒がしく楽しそうだったのが演劇部のお店だったそうです。
自分も明るくなれるのではと門を叩いたけれど、本人によれば暗いままと言います。
もともとは大学のサークルの模擬店で、隣りの騒がしくて楽しそうな店が演劇部だったんです。こんな暗い自分も明るくなれるものかと門を叩いたんですが、結局、暗いままですね。
引用元:https://www.cinemacafe.net/article/2016/01/29/37462.html
また、役者になるという強い思いもなかったとのこと。
一端就職して演劇に戻ったのも、ただ単にこの仕事は向いていないと思って芝居を口実に仕事から逃げたと告白していました。
「おれは役者になる」って思いで仕事辞めたわけではなく、「この仕事、向いてないかも…」って思って仕事から逃げたんですね(苦笑)。こればかりは断言できます! 私は、職場から逃げました。芝居を口実にしたんです…。
引用元:https://www.cinemacafe.net/article/2016/01/29/37462.html
当時の上司の方からの年賀状の事も明かしていたのですが、
その中に「人の信頼を裏切ることは今後しないで下さい」という手厳しい言葉が書いてあったそうです。
ここから安田顕さんの意識は変わったと、だけど役者が特殊な職業という認識は薄いことが分かりました。
常に自然体ながらも芸能の仕事と真剣に向き合って1つ1つ熟されている安田顕さんなので、裏切ると言う言葉からは遠い存在であることは間違いありません。
人からの言葉を頂くタイミングというのも、その人の人生に深く関わって運命を大きく変えていくものです。
安田顕さんにとって一度は就職し演劇の世界に戻った、その時に受けた言葉が今後に影響していますし、しっかりと胸に刻んで忘れずにいることは大事なことではないでしょうか。
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まとめ
安田顕さんを知れば知るほど、独特の世界観の深みにはまっていくような感じです。
皆さんはいかがでしたでしょうか。
怪優安田顕さんを使いたいと思う映画・ドラマ・舞台関係者などは多いことでしょうから、益々安田顕さんの役者人生は安泰と言って過言ではないでしょう。
そして、見る側としても安田顕さんの出演される作品を見たいですし、トーク番組にももっと登場して欲しいです。
安田顕さんの今後の活躍からも目が離せません。
最後までお読み頂き、有難うございました。
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