女優の高島礼子さんといえば、これまでも多くの映画やドラマに出演され今や大女優となっておりますが、
ご実家のご家族のことはあまり知られていないように思います。
こちらでは、高島礼子さんのご家族、温厚教師だった父親・峯島武さんをはじめ、
高島礼子さんが20歳の時にお亡くなりになった母親の死因、さらに祖父が駆け落ち婚だった?その真相についてみていきたいと思います。
Contents
高島礼子の実家の家族構成
引用元:https://thetv.jp/news/detail/130820/p2/
大女優の高島礼子さんのご実家の家族構成はどのようになっているのでしょうか。
調べてみたところ、
- 父親
- 母親
- 姉(2歳上)
- 高島礼子さん
となっています。
ただ、お母様はすでに他界されています(2022年現在)
注)お父様もお亡くなりになられたことを2023年3月25日に明かしています。
また、お姉さんについては一般人ということもあり、詳しい情報は公表されていません。
ただ、幼少期のころの姉妹の画像がありました。
父親を真ん中に向かって左が高島礼子さん、右側がお姉さんなのではないでしょうか。
引用元:twitter
3人とも目のあたりが似ていますね!
では、高島礼子さんの父親と母親、さらに父方の祖父についてどんな方だったのか?
エピソートも交えてご紹介したいと思います。
高島礼子の父親は峯島武で温厚教師だった!
高島礼子さんの本名は、峯島礼子(みねしまれいこ)さんといいます。
そして父親は、峯島 武さん。
父親の峯島武さんはどんな方だったのでしょうか?
中学校・旧制茨城中学校を卒業し19歳の時に戦争のため自ら海軍に志願。
兵役に出てから昭和20年8月15日に終戦、実質3ヶ月で海軍としての任務は終了します。
戻ってきた翌年(昭和21年)には、英語の教師を目指すべく、明治学院専門学校(現在の明治学院大学)に入学。
この時、住むところがなかったため、大学のキャンパス内に住み着いていたといいます。
引用元:https://meigaku-dosokai.jp/fukushima/?p=98
昭和27年には、福島県いわき市で福島県立平商業高校で念願の教師に。
教え子によると、とても温厚な教師だったそうです。
当時の教え子によるとスパルタ教育を懐かしむ教師も多い中で温和な教師だったとのこと。
引用元:https://datazoo.jp/
その温和さのせいか、顧問をしていた部活動の部員が飲酒をしたことが別の教師に見つかったものの、「飲酒はしていない」と生徒を信じ、かばいつづけたそうです。
その結果、居場所がなくなり教師を自らの意思で辞職してしまいます。
昭和32年のことです。
翌々年の昭和34年には、母校の明治学院大学に就職、そしてお見合いで高島礼子さんの母と結婚をされたのです。
そんな高島礼子さんの父・武さんと娘・礼子さんのエピソードをご紹介したいと思います。
高島礼子の父親とのエピソードと介護生活
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高島礼子さんと父親の峯島武さんのエピソードをご紹介します。
父親の武さんは、高島礼子さんが芸能界に入ることを反対していたといいます。
それでも、反対を押し切って高島礼子さんは芸能界へ。
そして、見事に大女優へと成長されていきました。
反対されたことで簡単に辞めることはできなかったのかもしれませんね。
そうして父・武さんも娘・礼子さんを応援するようになり、娘がテレビに出ていないと心配するほどになったようです。
高島礼子さんのお父様は、TVに出ていないと働いてないじゃないかとお金の心配をしてくれる。
イノ)親戚とかもそうですけど、僕も自分が見てるTVに出てないと仕事がないんじゃないかと…出てんだって!
高島)そうでしょ!!#あさイチ pic.twitter.com/4lplKPHZEW— aki_bikke (@a_bikke) March 18, 2016
そして、2004年に父・武さんがパーキンソン病であることが発覚。
異変が生じたのは2004年。実家に帰った姉が、「お父さんが何か変なことを言う。絶対に病気だ」と言い出した。
高島は真剣に受け止めなかったが、姉の言葉に押されて車で病院に連れて行く途中、高速道路を見た父が「あっ動物園だ」と口走った。
その後のCT検査で、パーキンソン病により幻影が見えたことがわかった。
引用元:https://www.news-postseven.com/
母親を20歳の時に亡くしている高島礼子さんは、これまで一人暮らしだった父親を引き取り介護をすることに。
父親の介護生活は芸能生活との両立は相当きついものがあり、最終的には家政婦さんや介護ヘルバーさんのお世話になったそうです。
父・武さんは現在、意識もほぼない状態で胃ろうをされているとのことですので、施設に入られているのでしょうか。
高島礼子さんは、2018年1月「終活読本ソナエ」において父・武さんへの心境を語っていました。
《2年前に胃瘻(いろう)を始めたのですが、やって良かったのか、悩ましいところです。でも、ここまで治療に頑張ってしまうと、もう何が良いのか分からなくなってしまいます。正直言って、ひょっとすると自分たちの自己満足のために延命しているのではないか、という思いもあります》
引用元:https://www.news-postseven.com/
母親の病気発覚から、死去まで半年だったため、お世話をしっかりとできなかったことを悔やんでいた高島礼子さんは、父親の面倒は最後までしっかり見ると決めていたそうです。
芸能界入りを反対された父でしたが、ずっとひとり暮らしをしてきた父親が病気になってしまったことで、寂しい思いをさせていたのでは?という思いもあったことでしょう。
【追記】高島礼子の父親が死去(2023年3月公表)
高島礼子おさんの父親・峯島武さんがお亡くなりになったことが分かりました。
女優の高島礼子(58才)が、3月25日に発行されたMUFGカードの会員情報誌『PARTNER』で、13年間介護をしていた実父を亡くしていたことを明かした。同誌のインタビュー対して、《亡くなるまでの13年間。私も一生懸命介護に携わりました。父も私も精いっぱいやったので悔いはありません》と告白している。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/
ご冥福をお祈りいたします。
では、次に高島礼子さんの母親についてもみていきたいと思います。
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【画像】高島礼子の母親の死因とは?エピソードも
引用元:https://search.yahoo.co.jp/
高島礼子さんの母親は高島礼子さんが20歳の頃にお亡くなりになっています。
死因は、癌(ガン)だったといいます。
私は20歳のとき、母をがんで亡くしました。母も若かったので進行が早く、がんだと分かってから半年ぐらいで他界してしまいました。亡くなって間もなくのころは、まったく実感がなくて涙も出てきません。やっと一周忌のときに「本当に死んじゃったんだ」と実感しました。
引用元:https://www.sankei.com/
一周忌が来てようやく実感されたといいます。
そんな高島礼子さんと母親のエピソードをご紹介します。
ある母の日のトークショーにおいて、
「幼い頃に母を亡くしていますが、鏡を見ると、怖いくらい母とそっくりになってきました。だからなのか、母に言われたこと、叱られたこと、ほめられたことを思い出すようになりました。
なんだか、『しっかりした顔をしていないとダメだ』と、言われているような気がします」というエピソードを披露しました。
引用元:https://sougi.guide/news/visit-mothers-grave/
高島礼子さんは、2022年現在57歳(1964年7月25日生)ですが、怖いくらい母親に似てきたといいます。
こちらは、母親の若い頃の写真ですが、ご近所でも評判の美人だったとのこと。
引用元:twitter
確かに目がくっきりされていて美人ですね。
では、実際に高島礼子さんと比較してみましょう。
お母様のお若い頃の写真ですが、どことなく雰囲気が似ていらっしゃいますね。
お母様がお亡くなりになられる頃は、現在の高島礼子さんのように美しいお顔をされていたのでしょうね。
最後に高島礼子さんの祖父(父方)についてご紹介します。
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高島礼子の祖父(父方)は情熱家で駆け落ち婚だった?
高島礼子さんの祖父(父・武さんの父親)についてご紹介したいと思います。
祖父は、一(はじめ)さんといい、勉強好きな方だったようです。
一は勉強が好きで水戸商業学校(現在の水戸商業高校)に進学し真面目に勉学に励んだそう。
そんな真面目な祖父が、高校時代に友人の妹を好きになり川を泳いで会いにいったようで、恋愛においても真面目というか一途で且つ大胆だったようです。
その会いに行った相手とは、高島礼子さんの祖母にあたるトクさん。
祖父・一さんとトクさんは結婚することになるのですが、駆け落ち婚のような形だったといいます。
というのも、トクさんの父親は小学校の校長を務めており一さんとの交際を反対していたようなのです。
祖父の一さんは、高校を出て銀行に就職するも京都へ赴任、その翌年にはトクさんを京都に呼び寄せました。
そして、子供は3人生まれ、長女、次女につづき3番目に長男としたのが高島礼子さんの父・武さんでした。
武さんが誕生した後に、銀行を退職され教員免許を取得するため上京、東洋大学を受験、地元で念願の教職に就かれました。
そんな父親を見て育った高島礼子さんの父・武さんも、同じように教職員への道を選んだのですね。
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さいごに
高島礼子さんの実家のご家族についてみてきました。
お母様を20歳の時に亡くし、お父様は娘・高島礼子さんの芸能界入りを最初は反対するもいつしか応援しするように。
また、父方の祖父もとても情熱家で勉強にも恋愛にも熱心な方だったのですね。
そして、現在の高島礼子さんはお亡くなりになった母親にそっくりになってきたようで、
お母様の分もお元気でお仕事の方も頑張っていただきたいですね。