ロッテマリーンズ佐々木朗希投手。
令和の怪物として、2023年のWBCにも出場されました!
そんな佐々木朗希さんですが、実はとても壮絶な生い立ちがありました。
そこで今回は、佐々木朗希さんの生い立ちや震災で経験した父親・祖父母の死、思い出のエピソードも含めて深掘りしてまいります。
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佐々木朗希の生い立ちが壮絶!震災で経験した父親・祖父母の死
令和の怪物と言われるようになった佐々木朗希さんは、まだまだ若いながら壮絶な生い立ちを持つとされています。
それは、東日本大震災がきっかけとなりました。
佐々木朗希の父親の仕事は葬儀屋さんだった
引用元:https://msp.c.yimg.jp/
佐々木朗希さんの父親の名前は佐々木功太さん。
佐々木功太さんは37歳の若さで東日本大震災津波の犠牲者となりました。
父親・功太さんは生前、葬儀屋で働いていたようです。
功太さんについて掲載されている情報をいくつか見ましても、
太陽のような人、リーダー的存在と、誰とでも仲良くして誰からにも愛される素晴らしい人物だったことが分かりました。
佐々木朗希の父・功太さんも身長が高かった?
引用元:https://msp.c.yimg.jp/
佐々木朗希さんの父親功太さんも身長が高かったことが分かりました。
功太さんの身長は181㎝とのことで、かなりの高身長です。
そして、バスケットボールの経験者だったということですので、納得の高身長でした。
しかし、父親の身長を遥かに超えて、佐々木朗希さんは成長止まらず190㎝まで伸びたことになりますね。
佐々木朗希は震災で父親と祖父母の死を経験
東日本大震災で、佐々木朗希さんは津波から逃れようと高台に避難し、避難所で兄弟3人が一夜を明かしました。
翌朝に母親・陽子さんと出会えましたが、自宅は流されていたのです。
そして、最愛の父親と祖父母が津波にのみ込まれたことを知ります。
幼い心がどれほど苦しかっただろうと察することしか出来ませんが、佐々木朗希さんにとってそれほど衝撃的な経験でした。
佐々木朗希さんには大好きな野球があったことで悲しみも勇気と希望に変わったと言います。
この時のことが記事に書かれていたのでご紹介しましょう。
“やり切れないむなしさ。寂しさと悲しみを一人で抱え込むことも多かった。「ネガティブな性格なので、そういうときもあった」と打ち明ける。それでも、全てを忘れさせてくれるものがあった。
「野球しているときが一番楽しかった。夢中になれる時間というのがあったおかげで、大変だったとき、つらいときも頑張れた。野球をやっていて良かったなと思う」”
引用元:スポニチ Sponichi Annex 野球
父親の功太さんは野球を愛し野球に愛された最愛の息子・佐々木朗希さんのこれからも楽しみに天国から見守り続けていくことでしょう。
そんな、佐々木朗希さんと父・功太さんのエピソードをご紹介したいと思います。
佐々木朗希と父親の思い出エピソード
引用元:https://msp.c.yimg.jp/
佐々木朗希さんの父親とのエピソードでよく見かけたのは、キャッチボールをしていたというエピソードです。
また、ウィンタースポーツも好きだったとのことで、スノーボードやジェットスキーを趣味としていました。
佐々木朗希さんも父親の背中をつかんでジェットスキーを楽しんだと言います。
さすがに父親功太さんは運動神経が抜群だったのではないでしょうか。
父親功太さんの遺伝プラスアルファを持ち合わせて野球の神様に愛され、後の令和の怪物として佐々木朗希さんがこの世に生を受けたということでしょう。
引用元:https://msp.c.yimg.jp/
先ほどにもありましたスポニチニュースの中に、次のような佐々木朗希さんのお話が掲載されていました。
“幼少期、キャッチボールをしてくれた父は「朗希は凄い!将来、プロになれる」と予言したという。”
引用元:スポニチ Sponichi Annex 野球
父親功太さんはバスケットボールの経験者ということで、
野球とは無縁だったのかも知れませんが、幼い息子の才能を見抜いていたということでしょう。
こうしたお話を聞けば聞くほど、父親功太さんはどれだけ息子の快進撃を見たかったことか、
佐々木朗希さんは父親に自分の雄姿を見せたかったことかと残念でなりません。
改めまして、佐々木朗希さんのお父様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
続いて祖父母とのエピソードもご紹介したいと思います。
佐々木朗希と祖父母の思い出エピソード
引用元:https://msp.c.yimg.jp/
佐々木朗希さんは祖父母にももちろん愛されていました。
こんなエピソードがあります。
“おじいちゃんとおばあちゃんの家に遊びに行くとチョコパイがいつもあって、よく食べていました。チョコパイが美味しかった。
それが思い出ですし、ぼくにとってロッテのお菓子といえばチョコパイです。すごく美味しかったです”
引用元:日刊SPA! (nikkan-spa.jp)
陸前高田市に住んでいた頃、自宅の隣に父方の祖父母の家があったそうで、
同じ敷地内でもあったため佐々木朗希さんはよく出入りをしていたと言います。
リビングに決まってお菓子が置いてあり、それがお煎餅とロッテのチョコパイだったとのことです。
この時からロッテとの深くて不思議なご縁があったのではないかと思えてなりません。
プロ野球チームロッテマリーンズの守護神として活躍するとは、佐々木朗希さんの祖父母も想像出来なかったことでしょう。
佐々木朗希さんの完全試合を見て頂きたかったと思いを馳せつつ、ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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佐々木朗希プロフィール
引用元:https://msp.c.yimg.jp/
- 本 名 :佐々木朗希
- 生年月日:2001年11月3日
- 出 身 :岩手県陸前高田市
- 身 長 :190㎝
- 体 重: 85㎏
- プロ入り:2019年ドラフト1位
- 所 属 :千葉ロッテマリーンズ(投手)
佐々木朗希の学歴・経歴
引用元:https://msp.c.yimg.jp/
- 小学3年生(2010年)の時に地元の高田スポーツ少年団で野球を始める。
- 2011年3月11日の忘れもしない東日本大震災の津波で父親と祖父母を亡くし実家も流される。
- 小学4年生(2011年)で大船渡市に移住。陸前高田市立高田小学校から大船渡市立猪川小学校に転校し、地元の猪川野球クラブに入部。
- 大船渡市立第一中学校野球部に入部(2014年)すると、エースナンバーを背負うが、3年生直前に腰の疲労骨折が判り半年近くリハビリに時間を費やす。3年生の秋に出場出来、岩手大会では優勝、東北大会で準優勝し全国大会に出場。
- 県立大船渡高校に進学(2017年)すると、1年生夏の県大会で公式戦デビューを飾っています。そして、この時147km/hを計測。
- 2018年の2年生の夏の県大会では154 km/hを計測、秋の県大会では高校2年生史上最速タイの157 km/hをマーク。
- 2019年の研修合宿の紅白戦ではありましたが、非公式ながら中日ドラゴンズのスカウトのスピードガンで163 km/hを記録して、大谷翔平さんの160 km/hを上回る。
そして、2022年「令和の怪物」と呼ばれるようになったのです。
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佐々木朗希が完全試合達成【2022年4月10日】
佐々木朗希さんは、2020年の春季キャンプから千葉ロッテマリーンズにて一軍スタートし、2021年5月16日がプロ入り初出場(初登板初先発)となりました。
そして、注目の的となった大偉業、2022年4月10日の完全試合へと繋がっていくのです。
読売ジャイアンツ槙原寛己さん以来28年ぶり、史上16人目、20歳5ヶ月での達成は史上最年少ともなりました。
岩手県知事は「東日本大震災津波からの復興に取り組む岩手県民に大きな勇気と感動を与えるものである」と話されていて、
佐々木朗希さんも亡くなった父親や祖父母に自分の雄姿を見せたかったことでしょう。
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まとめ
若きエース・佐々木朗希さんはこれから益々メディアでも取り上げられ、野球界を背負って注目を浴び一挙手一投足が話題となることでしょう。
壮絶な体験をしたからこその強さ、逞しさも兼ね備えていると推察します。
そして、天国にいる父親功太さんや祖父母もずっとずっと温かく見守っていくことでしょう。
多くの方に支えられてプロ野球人生を歩んでいく佐々木朗希さんを今後も応援していきたいです。
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