女子プロフォルファーの野村敏京(のむら・はるきょう)さんは現在、2020年全英女子オープンゴルフに出場、予選を通過しました。
野村敏京(のむら・はるきょう)さんはハーフで国籍は日本にあるのですが、日本語が苦手のようで・・・?
一体なぜなのでしょうか。
さらに、野村敏京さんの両親はどこの出身なのかについてもみていきたいと思います。
Contents
野村敏京|Wiki風プロフィール
この投稿をInstagramで見る
名前 | 野村敏京(のむら はるきょう) |
---|---|
生年月日 | 1992年11月25日(27歳) |
身長 | 166 cm |
国籍 | 日本 |
出身地 | 神奈川県横浜市 |
プロ転向 | 2010年12月 |
野村敏京はハーフ!両親の出身はどこ?
この投稿をInstagramで見る
野村敏京さんは、日本人の父親と韓国人の母親の間に生まれたハーフなのです。
生まれは日本(横浜市)で幼少期を過ごしていました。
後に、両親が離婚、母親の母国である韓国に移住し、祖母(母方)の影響で10歳の頃からゴルフを始めました。
野村敏京の国籍は日本でも日本語が苦手!
野村敏京さんは2010年にプロ転向後の翌年、2011年に日本国籍を取得しています。
日本国籍を取得した理由としては、父親が日本人であるから?とも言われていましたが、ハッキリとした理由は定かではありません。
しかし、日本国籍を取得した野村敏京さんですが、日本語がほとんど話せないのです。
いったいなぜ?
それは野村敏京さんの生い立ちにありました。両親の離婚後は韓国人である母親の母国・韓国で5歳〜高校卒業までを過ごしていました。
その後に、プロ転向〜日本国籍を取得するものの、ゴルフの試合はアメリカを中心に参戦していたことからも日本語をほとんど話す機会がなかったのです。
「日韓のハーフの野村は日本で生まれた後に5歳から高校卒業まで韓国で過ごしていたので日本語をほとんど喋れない。2011年に日本ツアーで勝利しましたが、その時の優勝インタビューは“ギャラリー、皆さん、ありがとうございました。私、ちょっと日本語うまくないので……でも、感謝の気持ちはおっきいです”でした。同年に日本国籍を選択したものの、主戦場は米ツアーなので、今も日本語を話す機会はほとんどありません」
引用元:NEWSポストセブン
野村敏京さんが日本語がほとんど話せない理由は「話す機会がないから」でした。
では野村敏京さんの名前の由来をみてみたいと思います。
野村敏京(のむら・はるきょう)名前の由来は?
この投稿をInstagramで見る
野村敏京さんの名前が変わっていて、なかなか読めないという方も。
一見、男性なのでは?と思う方もおられることと思います。
敏京と書いて「はるきょう」と読みます。
名付け親は、母方の祖母が付けたそうで、とにかく母親のお腹にいる頃から大きくて男の子だと思われていたようなのです。
元気で育つようにという意味が込められて付けられた名前だといわれています。
確かに、漢字で見ると男性っぽい名前ですね。
そして、記憶にまだ新しい2016年のリオ五輪に野村敏京さんは日本代表で出場しました。
野村敏京はリオ五輪に日本代表で出場も!
この投稿をInstagramで見る
野村敏京さんは、2016年のリオデジャネイロオリンピックに日本代表として出場しています。
このリオ五輪からゴルフが競技に加わりました。
成績は4位で惜しくもメダルを逃しまうことに。
<リオ五輪:女子ゴルフ>◇最終日◇20日◇五輪ゴルフコース
女子ゴルフは野村敏京(23)があと1歩でメダルを逃した。6打差15位から最終ラウンドに臨んだ野村は6バーディー、ノーボギーの65をマーク。最終組の5組の猛チャージで通算9アンダーとしたが、3位フォン・シャンシャン(中国)に1打届かなかった。20年東京五輪で悲願の金メダルを狙う。
引用元:日刊スポーツ
メダルに届かなかったとはいえ、4位でもすごい成績なのではないでしょうか。
東京オリンピックでも期待したいですね。
さいごに
野村敏京さんは韓国と日本のハーフでした。
そして、国籍は日本で日本語がほとんど話せないようですが、日本代表として活躍をされています。
これからの活躍に期待ですね!