プロ野球チームのオリックス・バファローズに所属する投手、宮城大弥(みやぎひろや)さん。
2023年でプロ入りして3年ですが、物怖じしない性格から中堅・ベテランと見られがちな期待の若手左腕。
3月8日から開幕されるWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)にも日本代表として選出されています。
持ち前の多彩な変化球が、長打力のある外国人選手にどこまで通用するか、期待が高まるところですね。
そんな宮城大弥さんは壮絶な貧乏生活が凄かったと話題の方。
今回は宮城大弥さんの貧乏生活や両親、噂となっている7人兄弟などのプライベートを調査していきます。
宮城大弥の生い立ちが壮絶な貧乏生活だった!
宮城大弥さんは沖縄県が出身の投手です。
県民性なのかもしれませんが、性格は優しくおおらかなで、後輩のミスも咎めることが少ない、懐の深い人柄です。
そんな宮城大弥さんのプライベートで有名なのは、壮絶と言われる過去の貧乏生活について。
宮城大弥さんの両親は働いていましたが、とある理由があり裕福な家庭ではありませんでした。
1歳の頃に両親から100円均一で売っているバットとボールを与えられたことがきっかけで野球を始めた宮城大弥さん。
4歳になったころに地元の野球チーム『志真志ドラゴンズ』に入団しますが、貧しかった宮城家に、満足な野球道具を買える余裕はありませんでした。
そんな宮城大弥さんに与えられたのは、700円のビニール製のグローブ。
野球グローブといえば皮のイメージがありますが、皮のグローブは小さいサイズでも高価となります。
宮城大弥さんが買ってもらったグローブは周囲に比べて安い物ではありましたが、宮城大弥さんはグローブをとても大事に扱っていました。
”大弥の野球道具を買う余裕はありません。
700円で売っていたビニール製のおもちゃのグローブをあげるのが精一杯でした。
それでも大弥は、そのグローブを大事に抱えて眠っていましたね”
引用:https://gendai.media/articles/-/86620?page=2
抱えて寝ていたというエピソードを聞くと、両親から買ってもらったグローブを心から大事に思っているのが伝わってきます。
宮城大弥さんがグローブやバットなどの物を大事に扱う姿勢は、幼少期から学んできたんですね。
宮城大弥さんが住んでいた家は、6畳一間で家賃は2万8千円。
野球道具を買うことも難しかった宮城家では、試合に使うユニフォームを買い替えることできませんでした。
試合だけではなく練習でもユニフォームを着ていたため、つぎはぎだらけとなっていたそうです。
そんな貧乏生活から、周囲に悪い噂をたてられたり意地悪をされたこともあったそうですが、宮城大弥さんはめげることなく。
ひたむきに『プロになりたい』という夢をかなえるため、練習に励みました。
遊びで野球をやっている一般人とは、気合が違いますね。
宮城大弥さんの壮絶と言われる貧乏生活を一覧にすると。
・700円のビニール製のグローブで野球
・自宅から5キロ、グラウンドに走って向かっていた
・電気代滞納で止まることが頻繁、マッチとローソクを常備
・ガス料金も払えず、真冬はポットのお湯で体を拭く
・遠征費を絞り出すため、6畳一間は住み替えず
・遠征費を盗んできたと泥棒扱いをされる
・中学でレギュラーをとったことでイジメを受ける
貧乏な生活の中でも、野球を続けさせてくれた両親への愛は強く。
プロになって家族を楽にさせたいという気持ちが人一倍強かった宮城大弥さん。
壮絶な貧乏生活があったからこそ、メンタルの強い投手として宮城大弥さんは活躍出来ているのかもしれません。
宮城大弥さんの両親は働いていたはずですが、なぜ貧乏だったのでしょうか?
理由を見ていきましょう。
宮城大弥の両親は父親が交通事故で母親は?
宮城大弥さん片親ではなく父親も母親もおり、2人とも働いていました。
貧乏生活だった理由は、父親が若いころの交通事故により左手が不自由で定職に就くことができなかったからです。
”亨さんは、若い頃に遭った交通事故の影響で左手が不自由になり、定職に就くことができなかった。”
引用:https://gendai.media/articles/-/86620?page=2
父親が障害を抱え収入が安定しなかったことにより、生活は食費もままならないほど困窮していたといいます。
家計が苦しい時は、毎日のように具なしカレーを食べていたというエピソードもありました。
宮城大弥さんの母親も専業主婦ではなく、パートとして働きに出ていたようです。
礼子さんはパートに励み、亨さんも昼は当時勤めていた沖縄ツーリストの社員として、夜は興南高校の寮監として寝る間も惜しんで働いた。
それでもカネが貯まることはなく、出ていく一方だった。”
引用:https://gendai.media/articles/-/86679?page=4
両親とも、寝る間を惜しんで働いていてもお金がたまることはない。
スポーツを続けるというのは、多大なお金が必要なことが改めて分かりますね。
特に宮城大弥さんのように野球選手になりたいと思えば、おのずと強豪チームに所属することが必要となります。
強豪チームは弱小チームに比べて、月謝やチーム遠征費が多く掛かる。
宮城大弥さんの野球への熱意を理解していた両親は、正に人生を掛けて息子のために戦っていたんですね。
宮城大弥さんの野球へのひたむきな努力と両親の支えがあり、オリックスにドラフト1位で入団。
契約金は8,000万円、年俸770万円と見事に貧乏生活から抜け出せました。
しかし凄いのは宮城大弥さんの感謝の気持ち。
宮城大弥さんの契約金のうち、約2,000万円を出身小中学校や野球チーム、さらには地元自治体に寄付しています。
”宮城は、自身の契約金のうち約2000万円を出身小中学校や野球チーム、宜野湾市、那覇市、豊見城市などへの寄付にあてたという。”
引用:https://gendai.media/articles/-/86679?page=6
両親と宮城大弥さんは今後の方針について、『生活が苦しく野球ができない子供たちにバットやグローブを送る財団を作りたい』と考えているようです。
人としての器の大きさを感じますね。
自分たちが儲けることよりも他者を尊重する気持ちが強いからこそ、貧乏な生活になっていたのかもしれません。
また、家計が厳しかったのは宮城大弥さんに8人の兄弟がいるためとも言われています。
兄弟について見ていきましょう。
宮城大弥は7人兄弟!
貧乏生活から抜け出し、プロ野球選手として素晴らしい活躍を続けている宮城大弥さん。
そんな宮城大弥さんには8人の兄弟がいると言われています。
8人兄弟という話が本当であれば、両親共働きでも野球をしながらの生活は家計が苦しくて当然と思えますので、壮絶な貧乏成果も少し納得です。
宮城大弥さんの兄弟について調べてみたところ、8人兄弟ではなくて、7人兄弟であることが分かりました。
しかし、宮城大弥さんと妹の宮城弥生さん以外の5人の兄弟は一緒に暮らしておらず、別の場所で暮らしていたということです。
宮城大弥さんと一緒に住んでいたのは、こちらの4人。
父親 : 宮城 亨(とおる)
母親 : 宮城 礼子(れいこ)
兄 : 宮城 大弥(ひろや)
妹 : 宮城 弥生(やよい)
両親は再婚同士で、前の結婚相手との間に子供いるため、宮城大弥さんには親違いの兄と姉が、あわせて5人いるということになります。
宮城大弥さんは、7人兄弟の6番目だったんですね。
2021年8月27日に公開された週刊現代の記事の一文はこちら。
”父の亨さん(53歳)、母の礼子さん、妹の弥生さん(15歳)とともに、宮城は一家4人で高校入学までをこの宜野湾市で過ごした。
礼子さんと亨さんは再婚同士で、宮城には弥生さんの他に、兄と姉があわせて5人いるが、いずれも別の場所に暮らしていた。
引用:https://gendai.media/articles/-/86620?page=2
7人兄弟が一緒に住んでいないことを考えると、宮城大弥さんの貧乏生活の大きな理由は父親が障害により定職に就けなかったことにありそうですね。
障害を抱えながらも宮城大弥さんの野球のために稼ぎ続けた父親の亨さん。
主婦業もこなしながらパートを頑張っていた母親の礼子さん。
両親の愛に包まれて育った宮城大弥さんは、オリックスのエースだけではなく日本代表選手にも選出されました。
2023年3月8日開幕のWBCは、若手左腕・宮城大弥さんに大注目ですね。
まとめ
今回は宮城大弥さんについて貧乏生活や両親、兄弟などのプライベートを調査してきました。
6畳一間の生活を抜けることよりも、野球を続けることを選んだ宮城大弥さん。
両親へ恩返しという気持ちが大きかったのかもしれませんが、野球が好きだったから、辛いことを我慢しても続けてこれたのではないでしょうか。
宮城大弥さんの努力がドラフト1位指名や日本代表への選出につながり、本当に良かったと思えました。
宮城大弥さんは2023年3月現在で22歳。
若手左腕の活躍は代表だけにとどまらず、世界に広がっていくのかもしれませんね。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。