カタールで開催されているワールドカップ2022では、強豪ドイツに起点となる得点を決めヒーローとなった堂安律(どうあんりつ)さん。
チャンスボールが来る場所に入れる嗅覚と、それをしっかり決めてくる決定力は素晴らしいの一言です。
そんな堂安律さんの地元は尼崎市であることが知られています。
今回は堂安律さんが尼崎のどこ出身なのか調査していこうと思います。
また、中学校と高校が通信制という噂もありましたので、学歴も紹介します。
堂安律は尼崎のどこ出身?
堂安律さんの出身は、兵庫県尼崎市となっています。
実家の詳細を調べてみましたが、細かくは公開されていませんでしたね。
堂安律さんは幼少期に尼崎市立浦風(うらかぜ)小学校に通っていました。
浦風小学校はこちらです。
兵庫県尼崎市杭瀬南新町4丁目1-34
小学校は学区で決められることがほとんどなので、学校に近い杭瀬南新町周辺に住んでいた可能性は高そうですね。
小学生からサッカーをはじめていた堂安律さんは、浦風FCというサッカークラブに所属。
同時に、ヴィッセル神戸のサッカースクールに通いテクニックを磨いていました。
努力家の堂安律さんは直ぐに頭角を表し、浦風FCを抜け地元では有名な西宮SSという強豪チームに移籍します。
堂安律さんは幼少期から強いチームに移ることで、テクニックを磨いていたんですね。
西宮SSは個人技を重視する傾向にあるようで、今の堂安律さんのボールテクニックと自分でボールを持って進むスタイルの基礎になっています。
次は、中学校を見ていきましょう!
堂安律の学歴|出身中学校は尼崎市立小田南中学校
堂安律さんは尼崎市立浦風小学校を卒業後に、同じく地元の小田南中学校に進学しています。
小田南中学校はこちら。
兵庫県尼崎市長洲中通1-10-1
小田南中学校は2016年に別の中学校と統合し廃校。
2022年現在は、尼崎市立小田中学校となっています。
仕方ないとは分かりつつも、日本を代表するサッカー選手の母校が廃校となっているのは、寂しさは拭えませんね。
当時の小田南中学校に進学した堂安律さんは、ガンバ大阪、セレッソ大阪、ヴィッセル神戸、名古屋グランパスエイトのジュニアユースからオファーが来ていました。
超がつく有名どころの4ヶ所からオファーが来ていたのには驚きますね。
その中で堂安律さんが選んだのは、ガンバ大阪のジュニアユース。
ユース入りし、テクニックを磨き続けた堂安律さんが中学2年生となった2012年。
サッカー史上初となるU-15年代全国3冠という偉業を達成しています。
左利きですが左右両方をこなせる攻撃的MFとして存在感を大きく発揮。
フィジカルの強さはかなり評判が高かったようです。
テクニックだけではなく、体幹トレーニングもしっかりしていた証拠ですね。
小田南中学校を卒業後を見ていきましょう。
堂安律の学歴|出身高校は通信制だった?
堂安律さんは中学校を卒業後に追手門(おうてもん)学院高等学校に進学しています。
追手門学院大学高等学校は大阪府茨木市にある私立学校で、偏差値は58と比較的高めの学校です。
追手門学院高校はスポーツの部活動が盛んで、堂安律さんはⅡ類にあるスポーツコースに進学していたと予測されます。
スポーツ特化のコースということで授業に参加できないなど、ある程度の配慮はあったはずですが、
高校1年生からガンバ大阪ユースで大活躍していた堂安律さんは学業への参加が難しく。
通信制学校で同じく大阪府茨木市にある向陽台(こうようだい)高等学校に転入しています。
堂安律さんは高校1年生の2014年にU-16日本代表に選出され、高校2年生にはガンバ大阪のトップチームに登録。
登録後は開幕戦からベンチ入りを果たすなど、高校生ながらに最前線で活躍しています。
また、2015年にはプロ史上2番目となる16歳344日の若さで公式戦デビューを果たしています。
追手門学院高校に通えなくなったのは、素晴らしい実績の代償ということですね。
堂安律さんが転入することになった向陽台高校は、稲本潤一さんや宇佐美貴史さんなどの有名選手も通っていた高校なので、トップ選手になる登竜門なのかもしれません。
堂安律さんは最初、私立の高等学校に通っていましたが、途中で通信制学校に転入していたことが分かりました。
まとめ
今回は堂安律さんについて、出身地や学歴を調査してきました。
実家がある場所の詳細は分かりませんでしたが、尼崎市の杭瀬南新町周辺に住んでいたであろうことが分かりましたね。
小学生時代からサッカーを習っていたことは知っていましたが、強豪のクラブチームに移籍していた経歴には驚きました。
高校時代に私立高校から通信制高校に転入することになったのも、堂安律さんにとってはサッカーに注いだ楽しい青春だったのかもしれません。
日本代表の攻撃の要として、ますますの活躍を期待しています。