安田顕さんを知らない人はもうあまりないのではと思うくらい、個性的な実力派俳優として大活躍されています。
北海道出身の演劇ユニットTEAM NACS(チームナックス)のメンバーの一人で、
メンバーは他に言わずと知れた大泉洋さん、リーダー森崎博之さん、戸次重幸さん、音尾琢真さんの5人組です。
大泉洋さんがTEAM NACSを押し上げた形で、森崎博之さんを除く4人は俳優としてなくてはならない存在となっています。
その中で安田顕さんの演技力の高さは多くの方が認めている所です。
そこで今回は、安田顕さんの実家の家族構成、
父親の職業、保険外交官の母親や兄弟について深掘りしてまいります。
Contents
安田顕の実家は4人家族で家族構成は?
引用元:news.yahoo.co.jp
安田顕さんは、北海道室蘭市出身であることに間違いはありません。
安田顕さんのエッセイに本籍が記されており、そこには『北海道室蘭市本町一丁目四十六番地』となっていました。
エッセイのタイトルにもなっているのですが、現在は存在しない住所のようです。
安田顕さんの実家は確かにそこにあったのでしょう。
安田顕さんの家族構成を調べてみると、父親、母親、兄の4人家族でした。
安田顕の父親の職業は?
引用元:https://msp.c.yimg.jp/
さて、ここからは安田顕さんのご家族を一人一人掘り下げていきます。
先ずは父親について見ていきましょう。先ほどにも紹介しました安田顕さんのエッセイの中には次のように書かれていたのでまとめました。
安田顕さんの父親はヒロシという名前で、北海道室蘭市という通称「鉄の町」に生まれたとなっています。
明治時代から新日本製鐵や日本製鋼所があったそうで、鉄鋼業で栄えた町でした。
そうした関係もあるのか、安田顕さんの父親は溶接工だったようです。
父親とのエピソードとして、若い頃に鉄を平たく伸ばす機械で右手の親指を失ってある時、
銭湯で父親の親指の無い手を見て強面のお兄さんが「どこの組の方ですか」と言われたことがあったと話していました。
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安田顕さんの父親は母親を誰よりも愛する愛妻家でもあったようで、夫婦仲が良いという事から4人家族の仲の良さがうかがえます。
安田顕さんが温かい愛に溢れた家庭環境で育ってきた事が分かるでしょう。
こちらの安田顕さんの著書は、涙と笑いを誘う家族愛というキャッチフレーズで、
ユーモアも溢れるエッセイとなっていますので、興味のある方はご覧下さい。
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安田顕と父親とのエピソード紹介
引用元:https://msp.c.yimg.jp/
安田顕さんがテレビ東京系「チマタの噺」にゲスト出演した時には、
次のような父親とのエピソードを披露しています。
お風呂のお湯を一杯に張って、「この時にしか出来ないことをする」と言って、オナラをして「一番風呂でないと出来ないことだ」
と自慢げに話していたそうです。
それを聞いた安田顕少年は感動したと言います。父親のことを個性的と話す安田顕さんですが、
充分本人も個性的なので父親の影響を多く受けているのではと妙に納得しました。
また、2019年の安田顕さんへのインタビューでは次のように話しています。
安田顕さんが幼い頃に、父親に肩車をされてよく映画を観に行っていたそうですが、行き帰りかと思ったら映画館の中に人がいっぱいだから館内で肩車されていたとのことです。
父親の映画に対する造詣も深かったようなので、こちらもまた息子が後に名俳優となっていますから、
父親の存在は安田顕さんにとって大きかったに違いありません。
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安田顕の母親は保険外交官でキャリアウーマンだった!
2020年1月30日放送の「徹子の部屋」に安田顕さんがゲスト出演しました。
その中で母親は保険のセールスをしている話が出ています。
生命保険会社の室蘭支部では幼かった安田顕さんをおんぶしながら街中を走り回っていたようです。
支部長さんが優しい方でおぶって働くのは大変と労いの言葉をかけたり、
支部室の一角に託児所を作ってくれたと未だに感謝しているし忘れられないとも話していました。
安田顕さんの母親は、幼い子供を抱え悪戦苦闘しつつ保険のセールスをされていた訳ですから、
いわゆるキャリアウーマンと言っても間違いないでしょう。
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安田顕の母親とのエピソード紹介
引用元:https://msp.c.yimg.jp/
先ほどの安田顕さんのインタビュー(2019年)の中には、母親のことにも少し触れられていました。
母親は居て当たり前の感覚になってしまって、マメに連絡しなくてもいいと思いがちだそうです。
母親は絶対的な味方で何をしても許してくれる存在、失礼な甘え方をしてしまうと赤裸々に語っていました。
2019年の違うインタビューでは、母親を尊敬しているとも話されています。
ある時カレーの鍋をこぼしたら、その瞬間に「私じゃない」というような人だったと、言葉が直ぐに出ることを尊敬出来る
と話していたことから、
頭の回転の速い母親であることが分かるのではないでしょうか。
と言う事で、安田顕さんは母親の血もしっかり受け継いでいることから、
ご両親の良いとこ取りで生まれて来られた方なんだなと改めて感じました。
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そして、ここでは母親の生い立ちにもまつわる話も告白しています。
安田顕さんの母親は夕張市で生まれたそうで、小学校までは商店の娘だったそうです。
炭鉱がダメになりお店も潰れ親は離婚し中学にほとんど行けず、
中学3年生にして弟妹の面倒を見ながら新聞配達をしていたと言います。
若い頃から苦労されていたことが分かりました。
一番悔しかった事は、母子家庭は盗みをするかも知れないから働かせられないと言われたことだそうで、
一番うれしかった事は
「あんた(安田顕)と兄ちゃんを産んだこと」
だと、子どもにとっても一番嬉しい言葉です。
これほど家族について語ると言うのは、あまりありません。
こうしてインタビューでの記事を見ると、家族のお話も自然体で話される安田顕さんに好感が持てます。
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安田顕の兄弟の現在は?
では、安田顕さんの兄はというと、これまた素晴らしい才能の持ち主でした。
名前は安田史生(ふみお)さんで、1971年6月15日生まれの50歳(2022年3月現在)です。
地元で福祉系の公務員として勤めながら電子音楽やバンド活動に目覚め、30歳を過ぎてから独学で音楽活動を本格始動しています。
2002年にはユニット「Ruppina」のボーカルを発掘し、自身も作家としてメジャーデビューを果たし上京して東京で活動していました。
その後ラジオディレクターの依頼があり札幌へ戻り、多ジャンルのアーティストと人脈を築いたのです。
そして、北海道出身の女性シンガー藍井エイルさんや綾野ましろさんらを発掘、
現在も作曲家、作詞家、音楽プロデューサーとして多くの楽曲を提供しています。
二人の息子がそれぞれの道で成功している姿を見ることは、ご両親にとってさぞかし喜ばれていることなのではないかと想像することが出来るでしょう。
兄からしても弟の芸能界での俳優としての成功は誇らしくもあるのではないでしょうか。
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まとめ
1996年3月からTEAM NACSを結成し、今やチケットの入手が困難な演劇集団のひとつに数えられ、日本一チケットが取れない劇団とも称されています。
コロナ禍の影響ということを置いといて、安田顕さんは5人での活動はもとより、
映画、ドラマ、舞台、CM、バラエティ番組、ラジオ、声の出演など幅広い活躍に休む間があるのかと心配になるほどです。
映画を取り上げただけでも2021年に3本、2022年には今の時点で3本出演を果たしています。
後半にも映画の出演作があるとすれば、どれだけ俳優として認められているのでしょうか。
それがでも安田顕さんの実力の証明となっていますので、健康に気を付けてこれからも安田顕さんの活躍に期待大です。
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