有村昆さんの奥さん(嫁)の丸岡いずみさんは以前、うつ病を発症し仕事をしばらく休業していたことがありました。
しかし、夫・有村昆さんはじめご家族の協力のもと、現在は元気になられております。
丸岡いずみさんがうつ病を克服されたのはやはり薬?
さらにうつ病の原因は震災が原因だったとの噂も。
こちらでは、丸岡いずみさんがどのようにしてうつ病を克服されたのか?
さらに、うつ病の原因についてもみていきたいと思います。
丸岡いずみがうつ病を発症していた
丸岡いずみさんがうつ病を発症し、お仕事を休業されていた時期がありました。
期間は、2011年8月30日〜2013年7月。
その間には結婚、日本テレビを退社し、芸能プロダクションに所属し復帰をされています。
- 2011年8月30日 – 体調不良のため長期休養に入る。
- 2011年9月30日 – 『news every.』を降板し、治療に専念することが発表された。
- 2012年8月28日 – 映画コメンテーターの有村昆と結婚。
- 2012年9月30日 – 日本テレビを退社。
- 2013年1月19日 – 結婚に伴う挙式披露宴。
- 2013年7月 – ホリプロに所属し、芸能活動を再開。
うつ病というのは一般的にはなかなか完治しにくい?といわれています。
丸岡いずみさんの場合も復帰までに2年かかっています。
そしてまた再発する可能性も高いとも。
では、丸岡いずみさんはどのようにしてうつ病を克服されたのでしょうか?
丸岡いずみがうつ病を克服したのは薬の効果?
うつ病を患い約2年もの間、お仕事を休業されていた丸岡いずみさん。
休業から2年で復帰を果たされ、治療法に注目が集まります。
やはり投薬になるのでしょうか。
丸岡いずみさんは休業当初は、親戚の方が勤務する病院に入院、別の病院の精神科に通院しています。
そこで「うつ病」と診断されるもうつ病という病気に偏見を持っていたことから、薬を拒否。
薬を拒否したままで入院生活も2ヶ月が過ぎ、退院を余儀なくされて自宅療養に。
しかし、丸岡いずみさんの病気はだんだん加速していくのでした。
特に被害妄想。
ひどい状況になると、
- 父親のズボンのベルトを見ると「これで首をつったら楽になるだろう」
- 「こんな身体になったのは母親がヒ素を盛ったからだ」
など。
ついには過呼吸となり、精神科の病院に入院を余儀なくされます。
しかし、この精神科の病院に入院したことで、今まで服用しなかった薬を飲むように。
看護士さんが見張っているためです。
さらには、この薬が丸岡さんには合っていたようで、飲み始めてからすぐに眠れるようになり、食欲も湧いてきたといいます。
わずか2週間で体調が戻ってきたのでした。
そして入院からわずか1ヶ月で仮退院することが出来たのです。
丸岡さんの場合は、2度目に入院した病院で出された薬が劇的に合ったということですね。
では、そもそも丸岡いずみさんはなぜうつ病に?
丸岡いずみ|うつ病発症の原因は東日本大震災の取材?
丸岡いずみさんが「うつ病」を発症した原因は何だったのでしょうか?
一部では震災が原因とも噂されていました。
丸岡いずみさんが病を発症したのは2011年。
確かにその年は、2月にニュージーランド大震災、その翌月3月には東日本大震災が起こりました。
キャスターを務める丸岡さんは現地への取材にと多忙を極めていました。
特に東日本大震災においては、悲惨な状況にショックを受けたといいます。
津波に傷つけられた数多くの遺体と、がれきの山。
「あまりにも悲惨で、私のすべての感情が一瞬にして凍りついた気がした」
最初の取材期間2週間の間には、頭皮に発疹が出来みるみるうちに広がっていったといいます。
同年4月にはロンドンに渡り、英皇太子・ウィリアム王子の結婚リポートのためロンドンへ。
帰国後もたびたび東日本大震災の被災地のリポートに向かっていたのです。
その中には海上自衛隊の行方不明者捜索の取材にも。
海上自衛隊の護衛艦に同乗して、行方不明者の捜索を独占取材した。小型ボートで海上にも出た。
かなりの時間がたった遺体に、息をのんだ。
艦内には女性用の部屋も風呂もなく、緊張感に包まれた4日間だった。
8月には食欲もなくなり、一睡もできなくなるほどに。
こうしてみてみると、とてもハードで過酷な取材、リポートだったのではないでしょうか。
ついには、番組放送中のリポートで言葉に詰まってしまいます。
その時に何かが「ポキンと折れた」と自覚したことから、異変を感じ日本テレビに休暇を申し出たのです。
丸岡いずみさんは超人気で売れっ子キャスターだっただけに、仕事量も相当なものでした。
東日本大震災が発生し、最初2週間の取材の時に頭皮できた発疹が「うつ病」の予兆だったとも。
それからも約半年間、キャスターとしての仕事を務められてきました。
責任感がある丸岡さんだけに、乗っかった取材を途中で放り投げることは出来なかったのでしょう。
ですので必ずしも、震災だけが病気の原因ではなく、
多忙で過酷なお仕事が続いたことで、身も心も悲鳴をあげたということなのではないでしょうか。
休職され治療に専念、薬も合って元気になられて本当に良かったですね。