渡辺裕之さんの衝撃的なニュースから数日経ちました。
渡辺裕之さんを知れば知るほど、真面目で優しくて気遣いの方であることが分かります。
未だに信じられず渡辺裕之さんのご家族を始め友人・知人・仲間の方々におかれましては、どれほどのお悲しみか察するに余りあります。
今回は、渡辺裕之さんの生い立ちや幼少期に活動していたボーイスカウトについて、また学歴・経歴についても深掘りしてまいります。
渡辺裕之の生い立ち|幼少期はどんな少年だった?
引用元:https://www.instagram.com/p/CUIbtXrPRKk/
渡辺裕之さんの生い立ちについて調べてみましたが、ほとんど情報がありませんでした。
確実なのは、1955年12月9日生まれの茨城県水戸市出身であること、実家が写真館を経営していたという事です。
写真館の息子さんなので、イメージ的には裕福な家庭環境だったのではないかと推察します。
そして、幼少期は積極的にボーイスカウト活動をしていました。
渡辺裕之はボーイスカウト活動をしていた
引用元:https://www.instagram.com/p/CUIbtXrPRKk/
渡辺裕之さんは、幼少期から青年期にかけてボーイスカウトの活動をしていたという記事がありました。
渡辺裕之さん自身ボーイスカウトについて、当時を振り返って次のように語っています。
“「ボーイスカウトは キャンプ生活や奉仕活動を通じて 自立心や協調性を 養うところ」とつづり「手旗信号やローピングなどを習って キャンプで 実践するのが楽しみだった」”
引用元: エキサイトニュース (excite.co.jp)
小学生時代、ボーイスカウトの制服にハット姿でドラムを叩きながらパレードに参加する渡辺裕之さんの写真がインスタグラムで披露されると、
引用元:https://www.instagram.com/p/CUIbtXrPRKk/
「ボーイスカウト素敵」「幼少期から顔が整い過ぎている」「カッコイイ」などの声が寄せられていました。
渡辺裕之さんらしい、イメージとぴったりな少年だったのだろうと思ってしまいます。
引用元:https://www.instagram.com/p/CUIbtXrPRKk/
個人ブログで渡辺裕之さんに関してこんな記事が掲載されていました。
“写真屋の息子として生まれ育ったことと、小学校2年生からのボーイスカウト体験。この二つの原体験が、今の僕を作ったと言っても良いくらいだ。”
引用元 :koimousagi.com
「コンバット」「ナポレオンソロ」などの海外ドラマでの海外スターへの憧れから小学2年生の時にボーイスカウトに入団を決めたとあります。
また、小学4年生からはフランキー堺さんの映画の影響でドラムを始めたという情報もありました。
世界のボーイスカウトの大会である「世界スカウトジャンボリー」では、英語を話したことをきっかけに英会話にも興味をもったようです。
なるほど、ボーイスカウトでの体験は渡辺裕之さんにとって原点だったことがよく分かります。
渡辺裕之の学歴は?
引用元:タレント名鑑
渡辺裕之さんの学歴は次の通りです。
- 茨城県水戸市立浜田小学校
- 茨城県水戸市立第三中学校
- 茨城県水戸商業高等学校(現在の偏差値55・当時は40程度)
- 拓殖大学商学部経営学科
中学時代
中学時代も渡辺裕之さんは音楽の部活動であるブラスバンド部に所属しています。そして、そこでもドラムを担当していました。中学3年生からは大人のバンドに加わり演奏活動を始めていたようです。
また、実家が写真館だった事から、写真も趣味としていて中学時代には全国写真コンクールで金賞を獲得しています。
子供時代からこうなりたいと思ったら即実行で、それだけでなくそこで全てを自分のものとして活かされているというのは中々出来ないことではないでしょうか。
高校時代
高校は商業高校なのですが、実家の写真館を継がなければならないかとの考えがあったからとインタビューで答えていました。
高校時代は陸上部の所属となりますが、バンド活動も続けていて夏休みはビアガーデンで演奏もしていたと、もちろん担当はドラムです。
引用元:FLASH
そして、バンドはキャバレーやクラブでも活動するほどの実力バンドだったと言います。
当時清掃のアルバイトが時給200円の時に渡辺裕之さんは月10万円を稼いだと渡辺裕之さん自身話していました。
大学時代
大学時代には陸上と水泳で体を鍛えていたようで、大学3年生の頃にはルフトハンザドイツ航空でアルバイトをしていたとのことです。
ドイツ語を学んだそうですが英語もマスターしていますし、渡辺裕之さんは本当にマルチな才能の持ち主です。
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渡辺裕之の経歴を紹介
引用元:https://msp.c.yimg.jp/
渡辺裕之さんは卒業後も就職はせずに、大学3年生からのルフトハンザトイツ航空でのアルバイトを24歳まで続けていました。
ここからは経歴を一覧にしてお届けします。
- 1980年 コカ・コーラのテレビCMに出演(芸能活動開始)
- 1982年 大正製薬「リポビタンD」CM出演(「ファイト一発!」でブレーク)
- 1982年 映画「オン・ザ・ロード」で初デビュー・初主演の大抜擢
- 1986年 昼のメロドラマ嵐シリーズスタートで人気俳優の仲間入り
- 「愛の嵐」「華の嵐」(1988年)「夏の嵐」(1989年)
高木美保さんとのコンビはゴールデンコンビと称されるほど
- 1994年 女優・原日出子さんと結婚
- 1995年 ガメラシリーズ映画3作出演(1996年、1999年)
- 1998年 ウルトラマンガイア出演
- 2007年「劇場版 仮面ライダー電王 俺、誕生!」史上最年長51歳の仮面ライダー
- 2009年12月13日テレビ朝日系放送 短編映画「雪の花」夫婦役夫婦で初共演
ドラマに映画にVシネマと多数の出演をされていますが、渡辺裕之さんの過去の出演作を見ても鍛え上げられた肉体の持ち主というイメージの中、
ヒーローもの、怪獣映画などにも多く出演していることが分かりました。
引用元:https://search.yahoo.co.jp
そして、2022年にも土曜ナイトドラマ「もしも、イケメンだけの高校があったら」に出演していたり、映画では公開予定含めて5本の映画作品(後述)に出演していたのです。
- ポプラン(2022年1月24日)
- 永遠の1分(2022年3月4日)
- 修羅の世界(2022年)
- 貞子DX(2022年秋公開予定)
- ぬくもりの内側(2022年公開予定)
渡辺裕之さんにとって、ここ最近はハードスケジュールだったのかも知れません。
まとめ
渡辺裕之さんの生い立ちについてみてきました。小学生の頃にはボーイスカウトを経験、中学にはブラスバンドに写真、高校になりバンドを組みドラム担当。
さらに、大学では外国の航空会社でバイトをしなたらドイツ語を学んでいたほど。英語もマスター済みとのことですので、とても頭の良い方なのだと思いました。
そして、一度こうと決めたら1つ1つを究めていく努力家で、数多くの資格も取得されていました。
誰にも愛され才能あふれる渡辺裕之さんを思うと、残念で仕方ありません。もっともっと60代、70代、80代と渋ジイの渡辺裕之さんの活躍を見たかったですね。
渡辺裕之さんのご冥福をお祈りいたします。
渡辺裕之さんの実家の家族構成は?
渡辺裕之さん声ががすれていたのは癌?