メジャーのドジャースに所属する二刀流、大谷翔平(おおたにしょうへい)さん。
世界という大舞台でも活躍するスーパースター、大谷翔平さんの両親はスポーツ選手です。
今回は大谷翔平さんの両親の紹介と、子供の育て方や教育方針について調査していきます。
メジャーリーガーを育てた両親の教育方針、気になるところですね。
【画像】大谷翔平の両親の年齢や出身地はどこ?
大谷翔平さんの父親の名前は、大谷徹さんです。
大谷徹さんは1962年生まれで2023年で61歳となります。
こちらが大谷翔平さんと一緒に並んだ大谷徹さん。
193センチと高身長の大谷翔平さんと並んでも大きな差がないところを見ると、しっかりした体格であることが分かりますね。
大谷徹さんの出身地は岩手県北上市和賀町。
人口は2万人に満たない町ですが、緑がキレイで素敵な場所ですね。
大谷翔平さんの母親の名前は大谷加代子さん。
大谷加代子さんは1963年生まれで2023年現在で60歳になる年です。
大谷翔平さんも朗らかで可愛らしい笑顔ですが、写真を見ると母親の笑顔とそっくりに見えますね。
大谷加代子さんの出身地は神奈川県横浜市旭区鶴ヶ峰。
父親の大谷徹さんは岩手県が出身なので、同郷ではありませんでしたね。
写真を見る限りは両親ともに体格が整っていることが分かりますが、2人はスポーツ選手だったという情報がありました。
詳細を見ていきましょう。
大谷翔平の両親もスポーツ選手だった!
大谷翔平さんと並んでも大きな差がない、父親の大谷徹さん。
夫婦で並んでも差が少ないということは、母親の大谷加代子さんも高身長であることが分かりますよね。
両親について調べてみたところ、2人ともスポーツ選手であったことが分かりました。
まずは父親の大谷徹さんについて見てみましょう。
大谷翔平の父親:大谷徹
父親の大谷徹さんは岩手県立黒沢尻工業高等学校が出身で、高校生から野球選手として活躍されています。
中学生時代に陸上部だったこともあり、俊足バッターとしてチームに大きく貢献していたそうです。
甲子園出場は果たしていませんが3年間しっかりと野球部で過ごし、高校卒業後に三菱重工に入社。
三菱重工横浜野球部で社会人野球を6年間プレーし、1986年に現役を引退。
引退後は地元の岩手県に戻り、会社で忙しく働きながらも少年野球チームのコーチとして指導にあたっていました。
社会人野球を長年頑張ってきた大谷徹さんがコーチのチームとあれば、地元では人気チームだったかもしれませんね。
大谷翔平の母親:大谷加代子
母親の大谷加代子さんは小学5年生からバドミントンをはじめ、中学校3年生の時に神奈川県の代表メンバーに選出されています。
高校はインターハイ常連校の神奈川県立横浜立野高等学校に進学。
実績については情報がありませんでしたが、3年間バドミントンをしっかりと続けていたようです。
高校を卒業後は三菱重工横浜に就職し、大谷加代子さんはバドミントン部でプレーを続けていました。
三菱重工横浜は社会人大会で神奈川県ベスト4に入るレベルだったようなので、大谷加代子さんも素晴らしいプレーヤーだったことが分かりますね。
両親ともに三菱重工でスポーツをしていたということで、2人の馴れ初めは職場なのかもしれませんね。
スポーツ選手だった2人の才能を受け継いだ大谷翔平さんは、今や日本が誇る名選手となっていますが、大谷家特別の育て方や教育方針はあったのか?
見ていきましょう。
大谷翔平の両親の子供の育て方や教育方針は?
両親がスポーツ選手であったことが分かった大谷翔平さん。
スポーツを長く続けてきた親であればマナーや生活態度に厳しいというイメージを持ってしまいますが、大谷家では違ったようです。
大谷翔平さんの両親、大谷徹さんと大谷加代子さんの子供の育て方・教育方針はこちら。
『本人の意思を尊重し見守る』
シンプルな教育方針ですが、親としては本当に難しいことですね。
子供を愛するあまり、良い方向に進んでほしいと口を出してしまうことが多いのが一般的な家庭かと思います。
大谷家では基本的に決めるのは自分とし、大谷翔平さんが決めたことに口を出すことはほとんど無かったと言います。
”両親から叱られたことがない”
引用:https://aistageup777.com/shohei-ohtani-2-12781#i-4
大谷翔平さんは幼少期に野球と水泳を習っていたのですが、習うことを決めたのも、水泳を辞めたのも全て自分で決めています。
また、プロ野球に進み二刀流を貫くことを決めたのも大谷翔平さん自身です。
大谷翔平さんの温厚な性格やメジャーでも自由に活躍されている背景には、子供に決定権を持たせるという両親の教育方針があったからなんですね。
大谷家では家庭の中を子供たちが安らげる空間にする、という子育ての考え方もあったようで、子どもたちの前では夫婦げんかをしないと決めていました。
うまく家庭内を癒しの空間にすることで、大谷翔平さんは自分の部屋にこもる事なく、勉強などもリビングでしていたそうです。
スポーツ選手の厳しい家庭のイメージとは真逆だったんですね。
元野球選手だった父親の大谷徹さんも外では真剣に野球を教えつつ、無理をさせないように自宅での練習は控えていました。
小学5年生まで続けていたという、『野球ノート』も少し特殊な教え方かもしれません。
野球ノートとは、その日の評価やアドバイスをノートに書いて大谷翔平さんと父親の大谷徹さんが交換日記のようにやりとりをしていたノートのこと。
”悪かった時に次に何をすれば課題を克服できるのかを考えて行動に移すことが大切”
引用:https://aistageup777.com/shohei-ohtani-2-12781#i-4
大谷翔平さんの課題解決能力の高さは有名ですが、小学生から行っていた父親との野球ノートが活きていたんですね。
大谷家の教育方針は誰でも真似ができるものではありませんが、少し取り入れるだけで子供が自由に生きれる手助けができそうです。
大谷翔平さんも将来は結婚し子供を授かることもあるでしょう。
大谷家の教育方針があれば、大谷翔平さんを越えるスーパーアスリートが生まれるかもしれませんね。
まとめ
今回は、大谷翔平さんの両親について調査してきました。
両親がスポーツ選手だったというのは驚きましたね。
スポーツ選手同士の結婚でありながら厳しい教育方針ではなく、基本は見守るという自分の意志を尊重した子育てにも感動しました。
日本だけではなく世界でも活躍する名選手が誕生した背景には、シンプルだけど難しい子育てを続けてきた両親の努力があったからですね。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。