現在の嫁、池田明子さんとの仲睦まじい姿をインスタグラムやテレビで披露している梅沢富美男(うめざわとみお)さん。
池田明子さんとは再婚であり、梅沢富美男さんには元嫁がいますが、どんな離婚理由だったのでしょうか?
女性に大人気の役者だっただけに、一目惚れと言われている元嫁との馴れ初めも気になるところです。
今回は役者でありタレントの梅沢富美男さんについて、元嫁との関係を調査していきます。
2人の間に恵まれている1人の子供も合わせて見ていきましょう。
梅沢富美男と元嫁の離婚理由は?
元嫁の名前は『京子』さん。
梅沢富美男さんと京子さんは1976年7月に結婚し、1985年頃に離婚しています。
正式な離婚時期が分からないのは、梅沢富美男さんが京子さんとの離婚時期や理由について、何も語っていないからです。
梅沢富美男さんと京子さんが結婚したのは1976年ですが、世間に結婚していることが公表されたのは1984年のこと。
結婚当時は役者として半人前だった梅沢富美男さんですが、女形として成功を収め、『下町の玉三郎』として大人気となりました。
梅沢劇団の座長を務めていた兄の梅沢武生さん指示のもと、東京・赤坂プリンスホテルで隠し妻についての記者会見が行われました。
”こいつ(富美男)は大衆演劇の中で咲いたチッポケな花。
咲かない内につぼんでしまってはまずいと思って(隠し妻に)したんです。
梅沢劇団には400本以上の芝居がある中で、今度のことが私の一番うまくできた芝居だと思っています。”
https://gossip-history.com/g01381/
京子さんと結婚して7年が経っており、すでに子供にも恵まれている状態。
女形スターに隠し妻がいたと、世間は大いに盛り上がったことでしょう。
表舞台に出ることを望んでいなかった京子さんは、梅沢富美男さんの人気を邪魔してはいけないと気を遣っていたようです。
”僕がテレビに出るようになり、歌(1982年の夢芝居)もヒットして売れ出した昨年(1983年)7月頃に、
女房が「私たちが苦痛にならない?手を引いてもいいのよ」と言い出したんです。
「冗談じゃない。このバカタレが!」と一蹴しましたけどね。”
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結婚してからも隠し妻として辛い生活を7年も続けてきた京子さんですが、梅沢富美男さんのことを心から愛していたことが伝わるエピソードですね。
梅沢富美男さんも厳しいことを言いつつ、演劇の忙しい最中に人目を忍んで京子さんへ会いに行っていたようです。
会いに行く時は必ずプレゼントを持っていくなど、京子さんを大事にしていました。
1984年に記者会見を行い、正式に梅沢富美男さんの妻として日の目を浴びることになった京子さん。
しかし梅沢富美男さんから何も語られることなく、1985年ころには2人は離婚していました。
隠し妻として梅沢富美男さんを密かに支えてきた京子さんにとって、明るい表の舞台は辛いことがあったのか。
離婚は、人気が出ていた梅沢富美男さんの足枷になりたくなかったことと、当時小さかった子供の幸せを考えてという理由かもしれません。
2人の出会いをもう少し見ていきましょう。
梅沢富美男と元嫁の馴れ初めは一目惚れ
梅沢富美男さんと元嫁の京子さんが出会ったのは1974年。
大衆演劇のファンだった母親に連れられて、高校2年生の時に初めて舞台を見に行った京子さん。
舞台では、まだ女形は演じておらず三枚目役として当時出演していたのが、梅沢富美男さんでした。
芝居の幕間(まくあい)で舞踊ショーがあり、そこで艶やかに踊る1人の役者に、京子さんは一目惚れしたと語っています。
”「あの人はさっきのお芝居で三枚目だった梅沢富美男よ」と、隣にいたおばさんに教えられた時は、あまりの変化ぶりに息をのむ思いでした。
それが梅沢富美男という名を聞いた最初で、また私がファンになったきっかけでした。
ファンになった私は、母以上に篠原演芸場に通うようになりました。”
引用:https://gossip-history.com/g01381/
三枚目役からガラリと変わる梅沢富美男さんを見て、好きになってしまったんですね。
高校を卒業して社会人となってからも、時間のある限り舞台に駆けつけていた京子さん。
当時の大衆演劇にはお芝居が終わると劇団員総出でお客さんを見送る、『送り出し』という儀式があったようで、
その送り出しの時に京子さんが梅沢富美男さんに声を掛けたことが2人の出会いのきっかけとなりました。
送り出しをきっかけにプライベートでも会うこととなった2人。
はじめて喫茶店で会話を楽しむ機会があり、そこから1ヶ月ほど過ぎてからは、2人だけでデートをするようなったと言います。
デートはもっぱら洋画を見て、食事をしながら映画評をすることでした。
「タワーリング・インフェルノ」、「ピンクパンサー」、「ジョーズ」、それに「007シリーズ」などを見ました。
私は「富美男さん」と呼び、主人は「京子」と呼びあっていました。”
引用:https://gossip-history.com/g01381/
まだ有名になる前の梅沢富美男さんだったので、堂々とデートが出来ていたんですね。
交際してから2年が経った1976年7月に梅沢富美男さんからプロポーズを受け、結婚に至りました。
梅沢富美男さんのプロポーズの言葉はこちら。
『俺の嫁さんになるかい?』
プロポーズとしてはシンプルですが、梅沢富美男さんが言うとなぜか色気が漂う。
梅沢富美男さんにべた惚れだった京子さんは幸せだったに違いありませんね。
無事結婚に至った2人は順調に愛を育み、1人の子供に恵まれています。
見ていきましょう。
梅沢富美男と元嫁の間に息子は1人
梅沢富美男さんと元嫁、京子さんの間には清章(きよあき)さんという長男が生まれています。
清章さんが生まれたのは1979年12月16日。
梅沢富美男さんが台湾旅行に行っている間に、清章さんは生まれたようです。
”毎年幕れに台湾旅行がありましてね。女房が臨月だし行きたくなかったんだが、渋々行った。台湾に着いたら知らせが待っていた。
機内にいる間に生まれたらしい。親父が喜んでね、自分の名前をとって清章(きよあき)と命名してくれたんです。”
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梅沢富美男さんの父親は梅沢劇団の創設者である、梅沢清さん。
梅沢清さんにはカタギに手を出したと怒られていたようですが、本音では息子の結婚と孫の誕生に喜んでいたんですね。
梅沢富美男さんの躍進の邪魔にならぬよう、京子さんは隠し妻、清章さんは隠し子として生活を送ることになります。
梅沢富美男さんの母親である千代さんも、清章さんの隠し子としての生活は不憫に感じていたようです。
”他の孫たちは楽屋に顔を出すのに、富美男の子は顔が出せない。とても可哀そうだと思っていました。”
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当時座長を務めていた兄の武生さんからは、『何しに来た、帰れ!』と京子さんと清章さんは追い返されていたと言います。
2人の不憫な生活は7年も続き、やっと1984年に記者会見で表舞台に出るも、1985年頃には梅沢富美男さんと京子さんは離婚。
その後、清章さんがテレビなどに出演する機会はなく、梅沢富美男さんも長男については語ることがありません。
2023年1月現在で清章さんは44歳になりますので、一般人として自分の家庭を持っているかもしれませんね。
まとめ
今回は梅沢富美男さんの元嫁である京子さんと、長男の清章さんについて調査してきました。
京子さんが梅沢富美男さんのファンであったことから始まった2人の出会いは、演劇一家の特殊な環境で苦労は絶えなかったようですね。
小さいころは隠し子として不憫な生活を送っていた長男の清章さんも、今は一般人として幸せな生活を送っていることでしょう。
長男については語ることのない梅沢富美男さん。
いつか昔の話を自分の口で語ってくれることを楽しみにしています。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。