この度、2022年北京オリンピックにおいて、平野歩夢さんは見事に金メダルを獲得しました。
2014年ソチオリンピック、2018年平昌オリンピックと2大会連続銀メダリストとなっており、最年少メダル獲得の記録保持者でもあります。
日本国中から、過剰なまでのメディアから、メダルの期待がかかる中で、
今回の北京オリンピックにおいて期待通りの金メダルを自分に引き寄せたことに賞讃の嵐です。
さて、平野歩夢さんの生い立ちが壮絶?と言われているのですが果たしてどうなのでしょうか。
また、父親や母親の職業や兄弟についても気になるところです。
そこで今回は平野歩夢さんの生い立ちから家族について徹底追及してまいります。
Contents
平野歩夢の生い立ちが壮絶だった?
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先ずはここで平野歩夢さんの簡単なプロフィールから紹介しましょう。
平野歩夢さんは新潟県村上市出身の1998年11月29日生まれで2022年2月現在23歳です。
村上市立村上南小学校から村上第一中学校へと進み、
開志国際高等学校アスリートコース卒業後、2017年4月から日本大学スポーツ科学部に入学しています。
平野歩夢さんは、4歳の時から3歳上のお兄さんの影響でスケートボードとスノーボートを始めました。
ワールドカップデビューは2013年15歳からで、スノーボードにおける獲得メダルの結果を見ても金メダルが多く、いかに才能溢れた少年だったかが分かります。
このように子供の頃から思い通りに過ごしてきているイメージを持ちますが、
平野歩夢さんの生い立ちが壮絶というワードがネットで踊っていたのです。
後ほど平野歩夢さんの父親のことは取り上げるとして、
要するに兄弟でスノーボードを始めたことで、子供たちの夢を叶えさせようと環境を整えるため、
家族で苦労を共にしてきたという事が分かりました。
平野歩夢の父親(英功)の職業はショップ経営者?
平野歩夢さんの父親の名前は平野英功(ひらのひでのり)さんです。
プロのサーファーを目指していたそうで、準公務員職を退職しサーフショップを経営していました。
現在は日本スケートボーディング連盟副理事を務められています。
サーフィンで息子に関わるアクシデントがあったため、サーフィンではなくスケートボードをさせることに移行しました。
室内最大級の「日本海スケートパーク」が開設されたのですが、
そこに深く関わり運営していたのが平野英功さんで、平野歩夢さんが3歳の時だったそうです。
平野英功さんはスケートボードの練習場が欲しいと、
旧市民会館内をリフォームして2002年「日本海スケートパーク」を完成させました。
現在は老朽化により閉鎖となり、代替え施設として「村上市スケートパーク」が2019年4月27日にオープンしています。
建設の際、地域の有志の方々から約1000万円の借金をしたと言います。
この借金額ですが800万円と書かれているものもあり、何れにしても多額の借金を抱えていたことに変わりはありません。
先ほどにもあった生い立ちが壮絶というのは、
お金を工面するために父親が運転手や居酒屋の仕事もこなしてきたそうなので、
このことを指しているのでしょう。
もう1つ、リフト代を支払うのがもったいないということで、
自分は雪山を歩いて登っていたというエピソードもありました。
息子のために、地域活性のために尽力し、実際平野歩夢さんのスノーボードでの活躍の一助となったのです。
スケートボードでのバランス感覚や体幹の強さが養われることによって、雪上での高難度な空中戦に繋がりました。
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平野歩夢の母親(富美子)は超美人!職業は?
では、平野歩夢さんの母親はどのような方なのでしょうか。
平野歩夢さんの母親の名前は平野富美子(ひらのとみこ)さんです。
職業は「日本海スケートパーク」の夢キッズとあったのですが、
先ほどにもありますように閉鎖され市の管轄となっているので、
スケートパークに残っているのかは定かではありません。
借金を抱えた中で夫を支え、息子たちには伸び伸びと夢に向かって進んでいってほしいとの願いを持って、家族のサポートをされていたのではないでしょうか。
平野歩夢さんの名前は平野富美子さんが名づけたそうで、
「夢に向かって、一歩一歩歩んでいって欲しい」との願いが込められているとのことです。
親孝行とも言うべき、その名の通りに自分の夢を叶えています。
そんな平野富美子さんが可愛いとネットでも話題になっていました。
実際の写真を見ても可愛らしい顔立ちであることは間違いないでしょう。
平野富美子さんに関するエピソードで多く見かけたのが、
平野歩夢さんが練習に行く時に毎日手作り弁当を持たせていたということです。
母に感謝とのコメントと共に、平野歩夢さんのInstagramへの投稿が見られました。
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栄養管理もしっかりされ、健康面、精神面など母親の深い愛情に包まれながら、
自分の進むべき道をひたすら歩いていくことが出来たと言えるでしょう。
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平野歩夢の兄弟の年齢や職業についても調査!
最後に平野歩夢さんの兄弟について見ていきます。
平野歩夢さんは3人兄弟の真ん中であることが分かりました。
兄の平野英樹(えいじゅ)さん、弟の平野海祝(かいしゅう)さんの3兄弟です。
平野歩夢の兄|平野英樹について
平野英樹さんは1995年7月23日生まれの26歳(2022年2月現在)です。
2001年頃にスノーボードを始めて、2008年にプロのスノーボーダーとして活躍しました。
現在はスケートボードに転向しており、スケートボードのコーチもされているようです。
また、平野英樹さんのInstagramを見ていくと、
2020年7月7日に入籍、2021年4月16日には男の子を授かったことを報告しています。
名前は樹壱(きいち)くんとのことで、平野歩夢さんにとっては初の甥っ子誕生となりました。
プライベートも充実していて、平野歩夢さんはお兄さんの影響でスノーボード、
スケートボードの世界に入っているくらいですから、兄弟との仲もとても良好であることが分かるでしょう。
平野歩夢の弟|平野海祝について
弟の平野海祝さんは2002年10月14日生まれの19歳(2022年2月現在)です。
とても目出度い名前ですが、父親の平野英功さんが海好きということでその名がついたそうです。
兄の英樹さんには英功さんの一字が入っていますし、3兄弟それぞれご両親の思いがこもった名前となっています。
開志国際高等学校から日本大学、そしてスノーボード選手と平野歩夢さんと同じ道を辿っていました。
子供の頃はやりたくなかったそうですが、ソチオリンピックでの兄平野歩夢さんの活躍を見て12歳の時スノーボードの世界に飛び込んだそうです。
今回の北京オリンピックでは念願の兄弟出場となった訳ですが、結果は9位と健闘しました。
最近、芸能界もスポーツ界も兄弟姉妹で活躍しているのを多く見ます。
平野海祝さんが嫌なこと、それは平野歩夢の弟と言われる事だそうです。
どうしても一方が注目を集め過ぎると〇〇の何何と言われがちなのは、どの世界でも仕方のないことかも知れません。
平野海祝さんは2022年現在まだまだ若き大学生です。
スノーボーダーとして兄の背中を見ながら切磋琢磨していくことで、兄の名前なく平野海祝としての活躍を期待しています。
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まとめ
北京オリンピックの決勝での2回目の演技は完璧とも言うべき高難度の演技でした。
高い得点と思いきや、まさかの2位に「どういうジャッジなんだ」と本音が漏れています。
ここで折れないのが平野歩夢さんの強靭なメンタルでしょう。
3回目も高難度の演技を決めきり、96点を叩き出して見事金メダルを獲得しました。
平野歩夢さんはイケメンでもあり、二刀流をこれからも極めていく意志の強さ、
オリンピックでメダルラッシュを続けている才能に溢れた若きエースとして、益々期待が膨らみます。
そして、家族揃ってのボーダーとしての活躍にも期待大です。