権田修一(ごんだしゅういち)さんはサッカーJリーグの清水エスパルスに所属し、日本代表にも選出されているサッカー選手です。
2022年に開催されたワールドカップでも、キーパーとしてスタメン出場を果たしており、鉄壁の守りを見せてくれました。
そんな権田修一さんの父親に母親。
さらには弟もバスケの選手だったという噂があります。
今回は権田修一さんの家族を調査し、サッカーをはじめたきっかけも見ていきます。
権田修一の父親と母親はバスケットの選手だった!
権田修一さんの家族について調べてみたところ、父親と母親はバスケットボールの選手であることが分かりました。
一般人ということで、権田修一さんの母親の名前や学校は出てきませんでしたが、高校生までバスケットボールをしていたようです。
権田修一さんは手足が長さだけではなく、俊敏でバネもある素晴らしいキーパー。
そんなスーパー選手の母親ということで、高校生時代は凄い選手だった可能性がありますね。
“お母さんは高校までバスケットボールをされていたようです。”
引用:https://girlsgundan.com/gondashuichi/#toc2
権田修一さんの父親は、権田哲也(ごんだてつや)さん。
権田哲也さんは元NKKシーホークスという実業団に所属するバスケットボールチームの選手でした。
すでに選手としては引退していますが、慶應義塾体育会バスケットボール部で2020年まで監督を務めるなど、素晴らしい経歴がある方です。
慶應義塾体育会の公式HPには、2020年にはオータムカップ3部準優勝という戦績が書かれていました。
権田哲也さんは指導者としても凄い方だったことが分かりますね。
プロとして大活躍している権田修一さんの両親が、サッカー選手ではなくバスケット選手だったというのは、不思議感じがします。
調べてみると、弟さんもサッカーはしていないようなのです。
権田修一の弟もバスケット選手だった!
権田修一さんの弟の名前は、『権田隆人(ごんたりゅうと)』さん。
権田隆人さんは元B3リーグ・東京サンレーヴスに所属していたバスケットボール選手です。
こちらが権田隆人さん。
右側に映っている優しい笑顔の男性が権田隆人さん。
兄の権田修一さんも優しいイメージですが、それをさらに柔らかくした癒し系イケメンですね。
権田隆一さんは慶應義塾高等学校在学時に国体やインターハイに出場している実力者。
その後は父親の権田哲也さんが監督を務める慶応義塾大学へ進学。
卒業後は東京サンレーヴスに所属しています。
2021年には慶応義塾大学体育会バスケットボール部のアシスタントコーチも務めていたようです。
”弟の権田隆人も慶應義塾體育會バスケットボール部のOBでB3リーグ・東京サンレーヴスなどに所属したバスケットボール選手。
2021年から慶應義塾體育會バスケットボール部のアシスタントコーチを務めている。”
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/
2022年最新のコーチングスタッフには権田隆人さんの名前は出ていませんでしたので、コーチからは外れています。
2022年からは3×3プロバスケットボールチームの三条ピーターズに所属することになったようで、そちらの活動がメインとなりますね。
父親と母親が元バスケットボール選手で、さらに弟も現役で活躍しているプロバスケットボール選手。
スポーツをやる時は、どうしても家族がやっている競技に進みがちですが、権田修一さんはなぜサッカーをやることになったのか?
きっかけを見ていきましょう。
権田修一がサッカーを始めたきっかけは?
家族全員がバスケットボールをしていた中、1人だけサッカー人生を突き進んでいた権田修一さん。
サッカーをはじめることになったきっかけが気になりますよね。
権田修一さんがサッカーをはじめたのは幼稚園の年中のころ。
母親が『団体でやるスポーツが成長に良い影響を与える』という情報を知り、
3歳か4歳だった権田修一さんをサッカークラブに入れたのがきっかけです。
子供の成長を思って、母親が入れてくれたんですね。
当時、父親の権田哲也さんは仕事で忙しく、あまり遊んでもらった記憶がないという権田修一さん。
週末もバスケットの試合で留守にすることが多かったとか。
“母親は冗談でよく『あなたは私が育てたのよ』と言うくらい(笑)、父は週末はバスケットの試合で家を留守にすることが多かった”
引用:https://www.sakaiku.jp/column/interview/2012/002481.amp.html
冗談とありますが、かなり本気で言っているように聞こえますね。
父親はコーチや監督をしていましたが、権田修一さんにバスケットボールを勧めたことはありませんでした。
バスケットボールの難しさや辛さを知っている両親だからこそ、息子には勧められなかったのかもしれません。
しかし、少なからず影響はあったようで、バスケットボールの動きがキーパーの動きに似ていることから、父親に指導を仰いだこともあると語っています。
また、サッカーの教本を買ってキャッチングの練習なども一緒にしてくれたとか。
競技は違えど、スポーツをやる息子をしっかりサポートしてくれていたんですね。
権田修一さんはサッカーは上手くないが試合に出たいという理由で、ゴールキーパーというポジションを選んでいます。
小さい頃は特に得点を取れる前のポジションが人気になりますからね。
キーパーというポジションを自分から選択する子供は少ないのかもしれません。
自分の力量をしっかり分かり、それでも活躍できる場所を探す。
アグレッシブな精神は小さい頃から権田修一さんに芽生えていたんですね。
今では日本を代表するキーパーに成長した権田修一さんがサッカーをはじめたのは、
母親の影響ということが分かりました。
まとめ
今回は権田修一さんについて調査してきました。
家族全員がバスケットボール選手だったことには驚きました。
サッカーをはじめたきっかけは母親にありましたが、父親も母親も権田修一さんにバスケットを強要しなかったことは、サッカーを続けることが出来た要因にも感じます。
弟の権田隆人さんもプロバスケットボール選手として活躍していますので、偉大な父親の血はしっかりと兄弟に受け継がれていました。
FIFAワールドカップ2022でのスーパーセーブが話題の権田修一さん。
今後も活躍を期待しています。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。