1960年代はザ・タイガースのメンバーとして活躍、1970年代以降はソロで大ヒット曲を生み出してきたジュリーこと沢田研二(さわだけんじ)さん。
沢田研二さんは人気絶頂期だった1975年に同じく歌手の伊藤エミさんと結婚し一人息子(澤田一人)に恵まれています。
元嫁・伊藤エミさんとはすでに離婚し沢田研二さんは家を出ていますが、一人息子(澤田一人)とは再会しているのか気になりますね。
また、伊藤エミさんとの離婚理由が衝撃的だったという話なので、一緒に紹介していきます。
沢田研二は一人息子(澤田一人)と再会してる?
沢田研二さんの一人息子の名前は澤田一人(さわだかずと)さん。
沢田研二さんは離婚していますが元嫁・伊藤エミさんの意向で、本名である『澤田』の苗字から変えていないようです。
そんな澤田一人さんと沢田研二さんは、離婚してから全く会うことはありませんでした。
澤田一人さんが父親のことを嫌っていたという話はありませんでしたので、
女手一つで育ててくれた母親・伊藤エミさんに気を使って、父親に会わなかったのかもしれません。
沢田研二さんと伊藤エミさんが離婚したのは、結婚後12年が経った1987年1月。
離婚後は全く接点の無かった沢田研二さんと澤田一人さんですが、2013年に25年ぶりの再会を果たしました。
”楽屋でなんと25年ぶりの再会を果たし、沢田研二さんは感動の涙を流したそうです。”
引用:https://xn--o9jl2cn5979an1pggi321e5id.com/sawada-kenji-musuko/#i-4
この日、澤田一人さんは初めて沢田研二さんのライブを観に行きました。
ステージで活躍する沢田研二さんを見て、『親父は凄い!』と感動した様子で周りに話していたと言います。
そのライブ後に楽屋に向かった澤田一人さんは、父親の沢田研二さんと25年ぶりの再会を果たしました。
25年という長い歳月が経ち、大きくなった一人息子と再会した沢田研二さんは感動の涙を流したといいます。
父親であればだれでも共感できる感情ですよね。
澤田一人さんが父親と会うことを決めた理由は『母親・伊藤エミさんからの手紙を渡すため』です。
伊藤エミさんは2012年5月にガンが見つかりましたがすでに病状は重く、同年6月15日に逝去されました。
ガンが見つかってすぐに伊藤エミさんが想い起したのは、元夫・沢田研二さんへの手紙。
2023年最新情報として手紙の内容を調べてみましたが、情報は出てきませんでした。
内容が気になるところですが、大切な家族同士の手紙ですから、これから先も世に出るとは考えにくいです。
死期を悟った伊藤エミさんが、自分に気を使い会うことをしなかった沢田研二さんと澤田一人さんを引き合わせるべく、架け橋を作ったのかもしれませんね。
もう少し、沢田研二さんの息子についてみていきましょう。
沢田研二は前妻との間に息子が1人
沢田研二さんは現在、女優の田中裕子さんと結婚し仲睦まじく生活されています。
結婚生活の長い沢田研二さんと田中裕子さんですが、2人の間に子供は恵まれていません。
そのため、沢田研二さんには前妻・伊藤エミさんとの間に恵まれた息子が1人ということになります。
沢田研二さんの息子・澤田一人さんが産まれたのは1979年3月といわれています。
澤田一人さんは有名歌手の息子ということでプライベートは全く情報が出ておらず、最新情報を探してみましたが確証を得れるものはありませんでした。
ネットに出ている情報に間違いなければ、2023年2月現在で44歳になっている計算となります。
顔画像なども出ていませんでしたが、若かりし頃の沢田研二さんに似て魅力的な男性に成長していることでしょう。
沢田研二さんが伊藤エミさんと離婚する前は、親子そろって歩いている姿が週刊誌などで報道されることもあり、仲睦まじい関係を築いていました。
離婚後は、母親・伊藤エミさんのもとで過ごすこととなった澤田一人さんは立派に成長し、両親の影響なのか音楽関係の仕事に就いているようです。
伊藤エミさんが逝去された2012年以降は東京都世田谷区の豪邸からは独立し、別の場所で生活しています。
”一人さんが自立を希望したことをきっかけに2013年の春頃、ユミさんと一人さんそれぞれ引っ越しをしまして、ピーナッツが売れに売れたことを象徴する東京・世田谷にある100坪を超える広大な土地に建設した地下1階、地上2階の豪邸は、土地ごと売却。”
引用:https://xn--o9jl2cn5979an1pggi321e5id.com/sawada-kenji-musuko/#i-4
2013年には沢田研二さんと再会している澤田一人さん。
実家から独立し立派に生きている姿をみて、父親・沢田研二さんも幸せだったことでしょう。
そもそも沢田研二さんと伊藤エミさんはなぜ離婚することになったのか?
衝撃的と言われる内容を見ていきましょう。
沢田研二と元嫁・伊藤エミとの離婚理由が衝撃的だった!
沢田研二さんと元嫁・伊藤エミさんが離婚した理由は、沢田研二さんの不倫が原因です。
沢田研二さんは伊藤エミさんと1968年から7年間の交際期間を設けて、1975年に結婚しました。
そして結婚から4年が経った1979年に一人息子の澤田一人さんが産まれ、歌手だけではなく父親としても幸せの絶頂にありました。
当時の週刊誌では、息子の澤田一人さんを幼稚園に送迎する幸せそうな親子の姿も撮られていました。
幸せの絶頂を迎えていた沢田研二さんですが、雰囲気が変わったのは1983年の夏頃。
女優として活躍していた田中裕子さんとの不倫が報じられ、大きな話題となります。
報道によれば、田中裕子さんが住んでいる高級マンションに沢田研二さんが足繫く通う姿が目撃されたとのこと。
2人は1982年に放送された映画『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』共演し、距離が縮まったと言います。
沢田研二さんの不倫が始まったのが1982年であれば、息子の澤田一人さんが3歳の頃ということ。
幸せな家庭だと世間には思われていた沢田研二さんですが、裏では複雑な状況だったんですね。
不倫報道後も沢田研二さんと田中裕子さんの関係は続き、ついには2人とも公の場で不倫を認める発言までするようになりました。
”不倫を認める発言を公の場で繰り返し、1985年には、田中さんが「文学座」を退団、沢田さんも、デビュー以来所属してきた「渡辺プロダクション」から独立されたのでした。”
引用:https://koimousagi.com/40015.html
最終的には世田谷区にある自宅から沢田研二さんは出ていくこととなり、田中裕子さんと同居を開始。
1987年に沢田研二さんと伊藤エミさんは正式に離婚したことを発表します。
離婚理由について沢田研二さんが友達に話していたのは、
妻は私の大ファンでプロダクションの社長が社の功労者である妻から相談を受けて僕も断れなかったから結婚した。
本当は大恋愛の末の結婚が夢だった
芸能人ということでさまざまなしがらみがあったのかもしれませんが、不倫が原因で離婚に至るというのは、世間からのバッシングは凄かったはずです。
沢田研二さんも当然良いことと思っていなかったのでしょう。
離婚に伴う慰謝料は、沢田研二さんの全資産といわれる約18億円が支払われました。
沢田研二さんは身一つで出ていったということになります。
不倫騒動により人気も低迷していた頃なので、沢田研二さんとして離婚は人生を掛けた大きな決断だったことが分かります。
1987年に伊藤エ三さんと離婚し、1989年に田中裕子さんと再婚した沢田研二さん。
後妻の田中裕子さんとは30年以上が経った2023年2月現在も仲睦まじい関係を続けています。
まとめ
今回は沢田研二さんの息子・澤田一人さんとの再会や伊藤エミさんとの離婚理由について調査してきました。
沢田研二さんと澤田一人さんが25年ぶりの再会を果たすことが出来て、本当に良かったと感じます。
2人を引き合わせた伊藤エミさんからの手紙を送ったエピソードも感動しました。
過去にはさまざまな苦労や失敗があったのかもしれませんが、今ではそれぞれに幸せな生活を送っているようですね。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。